23年前のドラマ「Dr.コトー診療所」。離島の人たちの「人の温かさ」を感じられるヒューマンドラマになっている。コトー医師と島民との関わりの中に、「人間らしさ」を感じる。「人は人との繋がりにこそ、人らしく生きられる」との思いがする。

 このドラマを通して、人の「居場所」を改めて問い直す機会になった。「居場所」とは、単に物理的な空間ではなく、「自分の存在そのものが受け入れられている」と実感できる場所ではないか。

  <居場所とは 心の支え ありのまま 受け入れられる 安らぎの場所>

 人が人らしく生きることが難しく時代になっている。デジタル化が進み、あらゆる分野で数値化され、効率性、合理性が進み利便性が増している。その一方で、アナログ的な人間らしさを失いつつあるのが、現実の社会ではないだろうか。

 AIは、居場所の本質として3つの要素を指摘している。

 1) そのままの自分でいられる」安心感(非演技性)

 役割(仕事上の顔、親や子の顔)を演じ続ける必要がなく、弱音を吐いたり、素の感情を出したりしても拒絶されない場所。つまり、存在そのものが肯定される場所。

 2) 「自分は必要とされている」という実感(関係性)

 誰かと心を通わせ、自分の存在や言葉が相手に届いているという手応え。一方的に支えられるだけではなく、互いに頼り合える関係性の中に芽生える。

 3) 「自分の意志で選択できる」自由(自己決定性)

 他者の評価や世間の価値観に過度に縛られず、自分の信条や感覚(自分らしさ、正直さ)を尊重しながら佇むことができる空間。

 

 <人にとって「居場所」とは何か>(AIの回答)

 居場所とは、外の世界で傷つき疲れた心を元の柔らかい場所へと戻し、再び立ち上がるための「心の安全基地(港)」です。それは必ずしも大きなコミュニティや立派な肩書きである必要はありません。長年連れ添ったパートナーと交わす何気ないお茶の時間。季節の移ろいや風を感じながら、静かに思索に耽るひととき。互いの存在を尊重し合える古い友人との語らい。自らの思いや記憶を言葉(文章や歌)へと結晶化させていく表現の営み。こうした小さな、しかし確固たる「手応え」のある時間や関係性の中にこそ、真の居場所は息づいています。社会がどれほど目まぐるしく変化し、効率を求めてきたとしても、「居場所」において取り戻される静かな「肯定感」こそが、人が最後まで「自分らしく、正直に」生きていくための原動力となるのではないでしょうか。

   <人生は 居場所探しの 旅路かな 歳月重ね 我を知れるや>

「居場所を探す」とは、「本当の自分を知っていくプロセス」といえるのではないか。