自身の思いを「短歌」として詠むことが、しばしばある。2005年に、初めて詠んだ短歌を忘れることはない。生徒との言葉のキャッチボールを短歌で表現したいとの思いからだった。生徒に駄作ながらと紹介した。最初で、最後の短歌になるかもと。

  <言の葉に 返してくれる 君の笑顔(かお)心豊かな 触れ合いの時間(とき)>

 

 数年前に、「俳句」を学ぶことにし、裾野の俳句会にも参加した。その時に詠んだ最初の俳句は記憶に残っている。

  <妻織りし紬着るなり日の始め>

 長く体調不良のため、妻が織ってくれた紬の着物を着ることができなかった。妻が織ってくれてから数年が経過していた。その着物に初めて袖を通した思いを詠んだものだ。その後、「俳句歳時記」で勉強したが、技術的なセンスのなさを感じた。脱会してからも、詠むことを止めたわけではない。

    <夏祭り輪投げで遊ぶ孫嬉し>

 

 私には、短歌の形式の方が、思いを表現しやすいと感じている。折に触れて詠んでいる。短歌のテクニックは全く知らない。「五・七・五・七・七」の31音に、自身の思いを表現しているに過ぎない。

 3歳の孫(紗奈)の笑顔に癒されている私だ。その思いをそのまま表現したのが次の短歌だ。孫の写真をスマホの待ち受けにしている。今の待ち受けは、紗奈とのツーショットの写真だ。

  <待ち受けの 孫(紗奈)の笑顔に 癒される 日々の喜びに 感謝の思い>

 急速なAIの進化に脅威さえ感じるようになった。人間そのものが問われる時代になっている。人間とAIの協働の社会へと変化している。

  <AIの 進化の速さに 人間の 生き方さえも 試されている>

  人間社会における人間関係において、最も大切なことは「信頼」と「対話」にあるとの思いが強い。 

  <人として 大切なことは 信頼に 心を開く 対話の中に>

 人間の心の不思議さ。「心こそ大切なれ」の言葉を、座右の銘にしている。

  <人間の 心の不思議 折に触れ 嬉しくもあり 悲しくもあり>

 

 最後に、日々実感していることを「川柳」として記すことに。

  <高齢者名前出てこず嘆き節>