<飛鳥時代の蘇我氏の権力>
飛鳥時代の蘇我氏は、天皇に匹敵する、あるいはそれを上回る圧倒的な絶対的権力を持っていた。
1. 権力を支えた3つの基盤
① 渡来人(東漢氏など)の結びつきと先進技術
渡来系氏族を支配下に収め、財政管理(三蔵の管理)や外交、文字・土木などの先進技術を独占した。
② 外戚関係による権力の集中
娘たちを次々と天皇の妃として送り込み、生まれた王子を即位させることで、天皇の「祖父」や「叔父」として国政を支配した(推古天皇や聖徳太子も蘇我氏の血筋を引いている)。
③ 仏教の受容と崇仏派の勝利
渡来文化である仏教を積極的に取り入れ、神道を重んじる物部氏(排仏派)との戦争
(587年・丁未の乱)に勝利して政敵を全滅させた。
2. 蘇我氏4代の権力推移
* 蘇我稲目:仏教受容をめぐり物部尾輿と対立。財政基盤を固め、娘を欽明天皇の妃に入れて外戚関係を構築。
* 蘇我馬子;物部守屋を滅ぼして、対立勢力を一掃。意に沿わない崇峻天皇を暗殺し、推古天皇を擁立。聖徳太子とともに摂政体制を敷き、先進的な政治を展開。
* 蘇我蝦夷:国政を専横。自身の邸宅を「宮門(みかど)」と呼ばせ、子供たちを「皇子」と呼ぶなど、天皇と同等の威光を示し始める。
* 蘇我入鹿:権力の絶頂。次期天皇候補であった聖徳太子の系譜(山背大兄王一族)を襲撃して自殺に追い込み、自分の意のままなる皇子を立てようとする。
3. 絶頂期(入鹿の時代)のエピソードと石舞台古墳
蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(巨石を積み上げた巨大古墳)に象徴されるように
当時の蘇我氏の土木技術と権力規模は王権を陵駕していた。
特に蝦夷・入鹿の時代には以下のような行いが記録されている。(日本書紀)
* 紫冠の着用:最高位の冠(皇族級)を勝手に着用・授与する。
* 陵墓の築造:天皇にしか許されない規模の墓を自分たちのために生前築造する
* 皇位継承への介入:自身の血筋に近い皇子を天皇にするため、有力なライバル(山背大兄王)を滅ぼす
4. 没落:乙巳の変(645年)
あまりの専横に対し、中大兄皇子や中臣鎌足らがクーデターを起こす。
飛鳥板蓋宮にて、朝鮮半島からの使者を迎える儀式の最中、蘇我入鹿が暗殺される。
父の蘇我蝦夷も自邸に火を放ち自殺。これにより本宗家は滅亡。
このクーデターをきっかけに大化の改新が始まり、日本は「豪族による政治」から「天皇を中心とする中央集権国家」へと大きく舵を切ることになった。