皇室典範の改正法案が可決された。改正法案に対する私の考え方は、既にブログに書いた。女性・女系天皇の議論をせずに、その道を閉ざしたことに怒りすら感じる。愛子天皇待望論は、国民の80%を越える。愛子さまの皇室としての立ち居振る舞いを国民はよく見ている。愛子さまが、次の象徴天皇に相応しいと私も思っている。

 天皇のルーツとは?に関心を持ち、生成AIから学ぶことにした。

「倭国と天皇の関係とは」をAIに回答を求めた。「天皇」という存在は、倭国(ヤマト政権)の「大王(おおきみ)」を直系のルーツとしており、倭国が「日本」へと国号を変える国家形成のプロセスの中で確立されたものだと。

 古墳時代を7世紀以前と7世紀後半以降に分けている。天武天皇(40代)、持統天皇(41代)の時代。律令制の整備とあわせて「日本」という国号と「天皇」という称号が制定される。「倭国」と呼ばれていた列島の政治勢力が、国家体制を整えて「日本」へ脱皮する過程で最高権力者を象徴する称号が「天皇」であり、宗教的、絶対的な権威者が「天皇」である。

 倭の五王とは、5世紀の間、中国の南朝の宋へ使いを送り貢物を献じた5人の倭国の王、讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)のこと。当時の中国の歴史書である「宋書」などに名前が記されている。中国の皇帝から「倭国王」などの高い位や、軍事をまとめる権利をもらった。この時代は、日本の歴史書である『古事記』と『日本書紀』にも書かれている。済が允恭天皇で、興が安康天皇、武が雄略天皇であることはほぼ認められている。讃については、応神天皇、仁徳天皇、履中天皇の三説あり、珍も仁徳天皇と反正天皇の二説ある。確定はできないまでも、このあたりの天皇が実在の人物だったことは確かなようです。ただし、当時は「天皇」という称号はなく、あくまでも「倭王」です。雄略天皇(ワカタケル大王)は、実在の人物です。雄略天皇の後は子の清寧天皇が継ぐが、雄略の系統は、そこで絶え、履中天皇の孫の顕宗天皇が後を継ぎ、その後は、兄弟の仁賢天皇で、その後は仁賢天皇の子、武烈天皇が継ぐ。506年、武烈天皇は、後継ぎを定めないまま没し、倭の五王の血筋は絶えてしまう。そのために、地方にいた「応神天皇の五世の孫」とされる血筋の遠い人物が継承して、継体天皇(26代)になる。女系によるヤマト政権の血筋の継続。重要なことは、誰もが認める然るべき後継ぎがいない場合でも、ヤマト政権の大王の血筋に連なる者を大王に据えるという合意があったことです。すでに大王は、長く続くヤマト政権の大王の血筋の者でなければなった。大王家の長い歴史が、こうした合意を形成してきた。古代の人々は、大王家つまり天皇家の人々は神の子の子孫だと考えていたようです。神の子孫である以上、その血筋の者でなければ、天皇の後継ぎにはなれない。天皇に取って代わろうとする者がでなかったのも、こうした観念があったからでしょう。これは、形を変えながらも長く日本社会に受け継がれていくことになる。(山本博文・日本史講義より引用)

 現代では、天皇が神の子孫と考えることに自体に無理があり、同じ人間である。男系男子に固執する理由がわからない。万世一系男系男子は、「信仰の世界」だと思う。