政治の劣化をテーマに、前回のブログを書いた。政治が国民生活に大きな影響を及ぼしていることは、厳然たる事実だ。日本は、三権分立の民主国家である。政治家は、法律を制定する役割を担い、その政治家を選ぶのが国民の権利であり、義務である。立法府である国会が、国権の最高機関であることは言うまでもない。政党政治であるが故に、過半数を占める政党が政権を担う。行政府の長は、国会で指名され、内閣総理大臣になる。現在の自公政権は、衆議院で過半数の議席を得ていない。従って、少数与党と呼ばれる。少数与党政権単独では、年度の一般会計予算編成ができなく、政治の執行ができない。
年度末の予算案の審議が、与野党の争点になる。少数与党政権下では、野党の政策実現のチャンスでもある。その野党の政策がまとまらないのが、日本の政治の現実である。最大野党の立憲民主党の責任は重い。野党をまとめることができれば、政策の実現が可能であり、次期衆議院選挙で、野党が連携して経済政策の実現を目指すならば、政権交代の可能性がある。本気で国民のための政策の実現に向かうことを望む。
そもそも論になるが、「政治は誰のためにあるのか」は政治の原点であり、理念であるべきだ。建前論で言うならば、各政党は「国民のため」と言うが、現実の政治はそうではない。「政治的利害」で政治が動かされている。一言で表せば、「選挙のため」に尽きる。企業及び各種団体の組織の支援なしには、議員になることはできない。選挙の当落は、候補者にとって死活問題である。組織に依存しないボランティアによる草の根運動での当選は、ほとんど不可能に近いと言える。支持基盤なしには議員になれないのが現実である。従って、政治家の目線は国民ではなく、支持組織である「大企業・団体」に向いている。政権を支えているのは、「官僚組織」である。官僚の官僚が「財務官僚」である。政治を水面下で動かしているのは、財務省と言っても過言ではない。
日本国憲法・第13条に、「国民の幸福追求権」が保障されている。「当たり前に働くことでき、当たり前の生活ができる社会」の実現が政治の責任だと、私は考えている。れいわの「生きているだけで価値がある社会」の理念に賛同している。
このブログでは、大まかな時系列的に、日本の経済と政治の関係を振り返ることにする。
日本の「高度経済成長」期は、昭和30(1955)年から昭和48(1973)年頃まで、約18年続いた経済成長を指す。日本経済は平均10%前後の高い成長率を記録し、国民の生活の質も飛躍的に向上した。昭和48年は、中東戦争を機に「第一次オイルショック」が始まった。この年に、トイレットペーパー騒動が大きな社会問題になった。昨年からのコメ不足問題と類似している。昭和54(1979)年は、イラン革命による原油供給不足から「第二次オイルショック」になった。オイルショックは原油の供給が不安定になり、物価の高騰を招いた。第一次オイルショックと共に、日本経済は「低成長」へと変化した。
日本の政治は、昭和30(1955)年に保守合同によって自由民主党が結成され、日本社会党と対立が続いた(55年体制)。1993年から94年、非自民8党派の連立・細川内閣(日本新党代表)が成立し、自民党が初めて政権を交代したことで、「55年体制」が崩壊した。
昭和61(1986)年から平成3(1991)年まで「バブル経済」が続いた。平成元年(1989)に、竹下内閣の自民党が「消費税法案」を強行成立させ「失われた30年」と言われる経済停滞も招く原因となり、バブル崩壊と共に経済不況に陥った。平成9(1997)年に、消費税が3%から5%に引き上げられた。私の記憶では、公明党は、自公連立政権(1999年)以前、「消費税は悪」「消費税に絶対反対」をスローガンにしていた。この変節に驚くとともに、「大衆と共に」との立党精神を失ったことに疑問を抱くようになった。自公連立政権の中で、公明党に政権のブレーキ役を期待したが、自民党の補完勢力になり下がった。公明党創立者は「補完勢力になったら、存在価値がない」と語っていた。
2001年、「小泉政権」になり「聖域なき構造改革」をスローガンに掲げた。小さな政府を主張する「新自由主義」が特徴である。「小さな政府」とは、政府の経済活動への介入を減らし、市場経済に基づいた自由な競争を促す政策である。福祉政策では、「公助」から「自助」の「自己責任」社会への転換となった。
新自由主義は、小泉政権から平成(2006)年に、第一次安倍政権へ引き継がれた。平成20(2008)年9月に、アメリカのリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻し、そこから連鎖的に世界金融危機が発生し、世界的な大不況になった。日本経済も大きな打撃を受けた。
平成21(2009)年8月30日の総選挙で、民主党が単独過半数を大きく上回る308議席を獲得して圧勝、「政権交代」を果たした。自民党は公示前の300議席から119議席に激減する惨敗を喫し、公明党も小選挙区で全敗して党首、幹事長が落選した。この結果、同年9月に「民主党政権」が誕生し、平成24(2012年)12月まで、鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦の三代の政権が続いた。一言で表現すると、国民は民主党に「変革」を求めたが、最大の勝因は、閉塞状況を招いた自公政権の「失政」と言える。民主党政権は、政権政党としての重い責任負うことになったが、国民の大きな期待に応えることができなかった。
平成24(2012)年12月末、民主党から自民党へと政権交代し、第二次安倍政権になった。この安倍政権は、平成26(2014)年9月まで続いた。この安倍政権については、前回のブログに書いてある。安倍政権の経済政策が、現在の日本の経済状況を招いている。経団連の求める大企業優遇政策、教育・福祉・介護等のコスト削減をし、格差を拡大し、若者に「将来に希望の持てない社会」を作り出した。デフレ脱却を果たせないまま今日に至っている。「失われた30年」と言われる経済不況が続き、生活が苦しいと感じている人が6割に及んでいる。
このような状況を改善するためには、景気をよくするしかない。現在の物価高に庶民が苦しんでいる実態を理解していない政治家(政治屋)があまりにも多い。庶民の生活実感がないからだ。現在の「コメ問題」が象徴している。庶民の生活は苦しく、少しでも安いコメを求めている。コメは日本人の主食である。「食の安全保障」は、政策の最優先事項である。
7月には、参議院議員の半数が改選される参議院選挙がある。各政党が掲げる公約を注視している。看板だけの公約には何の意味がない。本気で庶民のために働く候補者を見極めるのが、選挙民の責任である。
れいわは「消費税の廃止」を公約にしている。その財源は、実質的なインフレ率が2~3%になるまで、国債の発行で賄うとしている。石破総理は、「日本の財政は、ギリシャ以上の危機状態にある」と国会答弁で発言した。ギリシャはユーロであり、アルゼンチンは米ドルであり、自国通貨建ての通貨を持ってはいない。単純に比較することは意味がない。
財務省は財政政策(歳入・歳出の調整)を通じて景気を調整する役割を担い、健全財政を大原則としているが、日本銀行は、通貨や金融の調節を行う役割をしている。政治は、政策を執行する役割を担う。政府は、景気の動向に応じて、財政出動することができる。現在の経済状況を踏まえると、「財政出動」をすべきである。緊縮財政では、景気が上昇することはない。このままの経済状況が進めば、国民が破綻する。「国民が消費できるお金」が増えなければ、景気は良くならない。景気上昇を優先する政策が取られるべきだ。政府の赤字は、民間の黒字である。自国通貨建てで国債を発行する限り、財政は破綻しない。必要な財政支出は積極的に行うべきだ。税収ではなく「インフレ率」に基づいて財政支出を調整すべきと考える。この政策を主張している政党は、「れいわ」だけである。しがらみのない「れいわ」が躍進する以外に日本の将来はない。