私が自分の「学習方法」を見出したのは、中学の後半だと思う。同級生に暗記型のI君がいた。彼は定期試験で、ほぼ満点に近い成績だった。彼の勉強法は、教科書を丸暗記する方法だった。私にはできないし、良い学習方法だとは思えなかった。私の学習方法は、教科書を読みその要点を整理しながら理解して記憶する方法だった。試験の結果は、明らかにI君とは差がついた。私の学習方法では、せいぜい8割が限界だった。I君は、中央大学付属杉並高校に進学した。しかし、彼の希望する中央大学法学部法律学科には進めなかったと聞いている。私なりの見方では、暗記学習の限界ではないかと思う。

 私の「英語の学習」で参考にしたのは、F君である。彼は、学年トップクラスの成績だった。彼の学習法を模倣したことは、二つあった。一つは、手製の英単語帳を作ること。二つ目は、彼のリーディングの発音の仕方の模倣。このことで、苦手な発音を克服することができた。このことで、人から学ぶことの大切さ知った。

 中学時代の生徒同士の「人間関係」では、群れることはなかった。FBで、50年以上経ってから、同級生のK君を知った。彼の学習成績はトップクラスだった。数年前に、電話で話したことがあった。お互いに過去の記憶を辿りながらの会話だった。お互いの進路の話しにもなったが、彼の私への人物評価が適切だった。「君は、群れなかったよね」と。

 私の高校生活は、ある意味で挫折感からスタートした。希望校を志願変更せざるを得なかったことにある。団塊世代は、競争の世代とも言える。受験競争が最も激しかったと言えるだろう。現在の5教科型ではなく、9教科型での受験だった。主要5教科の入試ならば、志願変更することはなかった。Ifが成り立たないのが人生である。

 私にとっての「高校生活」のほとんどは、大学受験のためと言っても差し支えない。新設校であるが故の不安を抱えていた。挫折感が大学進学へのモチベーションになっていた。高校生活での記憶では、S君との高校生活が一番の思い出になっている。彼とは、一緒に野球をし、定期試験の後では、渋谷・新宿・川崎へと映画を観に行ったりした。お互いの結婚後に、連絡が途絶えてしまった。その後、どんな人生を送ったかはわからない。

 「先生との関係」では、新設校ならではの親密さがあったと言える。特に印象に残っている先生は三人いる。2年次の担任の鯉渕先生、2年次に新任として赴任してきた英語の岩井先生、3年次の担任の石井先生。私が教員になってから、三人の先生の良さを改めて認識した。詳細はすでに書いているので、重複は避ける。教員になってから、石井先生と岩井先生には、お会いして話しができなかったことが悔やまれる。鯉渕先生とは、実践女子大学の説明会で偶然お会いすることができ、お話しをすることができた。同じ立場の教員として接してくれたことに感謝と敬意の念を抱いている。

 Ifが成り立たないのが人生であり、置かれた環境の影響を受けるのが人間である。その環境の中で、前向きに生きていくしかない。