今日、妻は喜寿を迎えた。歳月とは、早いものだ。結婚して52年が経つ。
昭和45(1970)年の秋に出会い、昭和47年の4月29日に結婚した。テレビも電話もない新婚生活のスタートだった。私の勤務が定時制であったために、変則的な生活の時間だった。私の帰宅か11時頃になり、それからの夕食であった。
妻にとっても、縁もゆかりもない土地(下田)での生活のために、寂しい思いをしたと。48年の4月に、長男が生まれた。それからは、子育てに忙しい日々となったと。
昭和50年に富士市に転勤になった。その年の6月に次男が生まれ、二人の子育てで、あわただしく大変だったと。私は典型的な昭和の人間で、家庭のことは、妻に任せきりだった。妻の言葉では、「昭和の最後の亭主関白」だと言う。
妻の長所は、「芯の強さ」と「優しさ」にある。短所は「頑固さ」になるが。私は、自己心が強く、不器用な人間だ。あまり夫婦喧嘩をすることはないが、お互いに口を利かないことはあった。しかし、子どもの前では、喧嘩する姿を見せないようにしてきた。私たち夫婦は、お互いに役割分担の二人三脚の人生と言えるだろう。
昭和58年に、裾野に家を新築して40年が経過した。この期間では、父親との7年間の同居生活が、私たちにとって、一番大変だった。当然ながら、親子の考え方や生活習慣の違いが原因だったが。この経験から、親子の同居の難しさを実感した。妻にとっても大変な日々の生活だったが、親父が亡くなる時、妻に「ありがとう」との言葉を残してくれたことで、救われた思いだろう。
私は、子どもの扱いが苦手だが、妻はとても上手だ。隣には、二人の孫がいる。16歳の翔(高2)と14歳の煌(中3)だ。翔は、連日野球で忙しい学校生活を送っている。煌はおしゃべりで、家に来ては、妻に恋話や学校の愚痴をこぼしている。妻は、その相手を上手にしている。私は、二人の会話を耳にしているだけだが。
3人目の孫は、次男の子どもの紗奈で、1歳8か月のかわいい盛りだ。私も妻も、紗奈の笑顔に癒されている。二人とも、スマホの待ち受けは紗奈の写真だ。次男が横浜に住んでいるため、会えるのは年に数回しかない。私たちにとって、紗奈の成長の様子を見ることが一番の楽しみとなっている。
妻は、心臓の手術をして、今も定期的に通院している。前回の検査では、医師から状態が良くなっていると聞き、ほっとしている。妻には、私よりも長生きしてもらいたいと思っている。高齢による体の衰えは避けることはできないが、健康であることを願う日々だ。
<妻ありて 今の我あり 有り難し
共に歩みし 人生の道>