断捨離を始めた。後期高齢者の身には、明日のことを考えなければならない心境になっている。エンディングノートも新たに購入し、ほぼ書き終えている。私の遺言も書き、パソコンに保存した。
昨日は、書棚を一つ廃棄した。百科事典などは、ゴミステーションに持って行った。本の整理は、まだできてはいないが、自分の部屋の整理はできた。整理すると、実に壮快な気持ちになる。物の整理ができないと心の整理はできないと感じる。
整理していると、懐かしい写真が出てくる。過去からの訪問者だ。母の写真と母に抱かれている私の写真が出て来た。生まれて間もない頃の写真だった。昭和のモノクロ写真だ。その母と最期の写真もある。病身の母が床から起きて、縁側に座っている二人の写真だ。小学校入学前の写真である。この写真が母との最期の写真だ。
母は体が弱く、入院しているか、床に伏している記憶しか残っていない。私が9歳の誕生日を迎えた日は、病院の中にいた。何回も母の見舞いに病院へ通っていた。その母が、誕生日を過ぎた深夜に亡くなった。今でも、その時のことは忘れられない。病院の霊安室でのお別れだった。泣くことすらできなかった。今このことを書きながら、涙が溢れて止まらない。その場にいた親戚の人が、「隆ちゃんは泣かないのね。冷たい子だ」と言われたことは、生涯忘れることはない。「僕の悲しみは、お前たちにはわからない」と心の中でつぶやいた。この母との別れによって、「早く大人になりたい」と思った。自立心が芽生えたのは、この頃からだ。おそらく他の誰よりも「自立心」が強かったと思う。その思いが今までずっと続いている。ただ一つ残念に思っていることは、「母の笑顔を見たかった」ということだ。この悲しみを自分の子どもたちには、味会せることはできない。結婚して、子どもができた時の思いだ。二人の子どもは、今は50歳(長男)と48歳(次男)になっている。今の私には、16歳の翔(男)と13歳の煌(女)と1歳の紗奈(女)の三人の孫がいる。孫たちが幸せな人生を送ってくれることを切に願っている。少なくとも後10年は、生き続けたいとの思いでいる。
余談から始まってしまったが、この年齢になって、「幸せとは何だろう」の問いの答えが見つかったように感じている。先ずは、自分自身が自らの人生の歩みに満足することにあるのではないか。「自分だけの幸せはない。周りを幸せにしてこそ自分も幸せになれる」と言うことではないだろうか。家族の幸せ、友の幸せ、社会の平和を願う気持ちは持ち続けている。中国の諺に、「足元を掘れ、そこに泉あり」と。英語では、Dig under your feet, there is a spring. と訳されている。日本の諺に「隣の芝生は青い」とある。若い頃には、気づかないことだ。他の人の生き方やその人物そのものに憧れを抱くことは、当たり前のことだと思う。私は、人に憧れを抱いたり、羨ましく思ったことはない。自分の人生の生き方を探し求めて来た人生だからである。所詮は、他人は他人であり、その人になることはできない。自分自身を大切にすることしかできない。「自分の心に正直に、自分らしく生きる」人生でありたいと願って、今日まで来ている。人生は順調なわけがない。様々な困難を乗り越えてこそ自身の人生がある。私自身は、「我が人生に悔いはない」との思いでいる。76歳にしての心境である。私の人生の多くの部分は、教員としての人生である。自ら選び、試行錯誤しながら歩んだ教員人生だ。振り返ると、様々なことが浮かんでくる。辛かったことや生徒との楽しい語らいが蘇ってくる。「生徒のために」との思いは貫いたつもりだ。生徒とのコミュニケーションを大切にして来た。教科では、自分なりの工夫をして、生徒に分かり易い授業を目指して来た。「相川先生の授業は分かり易い」と生徒たちが言ってくれた。教師として、この言葉に勝るものはない。「他人のために」との思いが、めぐりめぐって自分に返ってくる。その喜びが最大であると思っている。「情けは人のためならず」との言葉があるが、その通りだと思っている。この心境になるには、時間が必要ではあるのだが。若い頃には、わからないことだ。
「幸せは、遠くにあるのではなく、身近に、それも日常の中にある」との結論に至っている。残された人生がどのくらいかは、誰にもわからない。それだからこそ、自分の人生を大切にしたいと思っている昨今である。
人間の価値は、その人が持っている物(名誉・地位・財産)にあるのではなく、その人の生き方・人間性にあると言うことではないか。その生き方の中にこそ幸せがあると、私は信じている。