私の敬愛する人生の師匠である池田先生が、11月15日ご逝去された。深い悲しみに襲われた。この日が来ることは、予期していたことではあるが。親の死にも涙を流すことはなかったが、涙が溢れて止まらなかった。18日に、友のメールで、YouTubeで詳細を知った。享年95歳だった。23日に、創価学会葬が行われた。13時30分から同時中継される会館へ参加した。先生の過去の映像から、人としての優しさが伝わってくる。一期一会の出会いを本当に大切にされていた。心の中で、哀悼の気持ちと弟子としての誓いを新たにした。「本物の弟子とは何か」を改めて考えた。自らの「原点」に立ち返る決意をした。自らの原点とは、「師弟不二」の道である。創価とは、価値の創造を意味する。創価の目的は、「自他の幸福と世界の平和」を実現することである。高い理想を掲げて前進することである。人種・性別を越え、地球民族主義の実現に邁進することである。一人ひとりの「人権の尊重と多様性」を認め合う社会の実現にある。海外にも、192か国・地域の280万人の会員がいる。ここまでの発展は、池田先生の偉大な業績なしにはあり得ないことだ。

 池田先生は、善と悪との区別の質問に対して、「善と悪の区別は非常に難しい。それぞれの立場の善があり、区別することは至難である。「勝てば官軍負ければ賊軍」との言葉もあるが、勝った方が正義、負けた方が悪なのか。それは、非常に難しい問題だ。正義が、邪悪に負けることもある。負けないことが正義とも言える。人を殺すことは悪である。人を救うことは、善である。究極的には、南無妙法蓮華経が最高善である。宇宙の法則だからである。法則は真理であり、変わることはない」(要旨)と答えた。

 すでにブログ(人生の師)に書いたが、繰り返す。池田先生に、「自分の進路について、教師の道を進むか、大学院に行ってみようかと迷っています」と話しをした。すると即座に、先生は瞬間に私を洞察し、私に答えてくださいました。「君は電車に乗り遅れるね。文は書けるのかい?」「いいえ、書けません」と答えると、「それでは大学院は無理だね。教師のほうがいいね」また「君は大器晩成タイプだね。回り道するね」とおっしゃいました。

 この会合において、人生の師匠と直接お会いして、指導して頂いた言葉だ。私にとって、人生で最高の思い出になっている。先生は、ひとり一人に気配りをされ、心からの励ましをして下さった偉大な指導者であった。どれほど多くの人たちが励まされただろうか。

 先生が言われたように、私自身、人生の回り道をした。仏典に「随自意」とある。その意味は、自発・能動である。自ら考え、自らの行動に責任を持つ、主体的な人生を歩んで来たとの自負がある。その意味において、「我が人生に悔いはない」。学会及び人生の師匠である先生との出会いがなければ、今の私の人生はなかったと言える。先生への感謝の思いは尽きない。聖哲の言葉に「心の師とはなるとも心を師とせざれ」とある。自らを心の師としてはいけないと。私の心の師である先生と同時代に生きたことに無上の喜びがある。

        霊山へと 旅立ち行く 我が師なり

          同じ時代を 生きし喜び