昨日は、30年前に英語科の同僚教員として勤務していたW君と話した。彼に会うのは、5~6年ぶりになる。最後に一緒にボウリングをして以来になる。彼とは、約20年のボウリングの仲間でもある。

 今年の年賀状に、「人生、楽しんだものが勝ちですね」とのコメントが、私の心に響いた。4月頃、彼の携帯にかけた。その時に「会って話しをしたいですね」とは言っていたが、その機会がなかった。2日に、彼からの着信履歴があった。折り返し電話を彼の携帯にかけた。昨日、長泉町の「コメダ珈琲店」で会い、4時間を越える楽しい語らいの時間となった。彼は、富士高校で定年になり、再任用教員として、沼津商業に勤務して2年目になる。

 現在の教員の勤務実態に関心があるので、聞いてみた。フルタイムの勤務で、給料は40%減になっているが、普通教員と同じ仕事をしなければならない。副担任、研修課、バスケット部の副顧問をしている。教員の勤務時間は、8時15分から4時45分。以外の時間は、残業となるが、報酬はない。教員調整手当の4%だけだ。50年以上前の法律が変わっていない。田中角栄内閣の時にできた法律と記憶している。

 彼は、再任用になってから、勤務時間外のサービスは、できる限り断っていると。「嫌われる勇気」との言葉を使った。「同調圧力」の強い世界だ。自分の時間を大切にして、「自分らしさ」を失わないようにと。彼を若い頃から知っているので、心境の変化を感じた。「おかしいことをおかしい」と言いにくい世界は変わっていない。それを言うことで、白い目で見られることになる。私自身、その経験をしているからよくわかっている。教員世界の体質は全く変わっていない。

 前任の富士高校のことを聞いてみた。「働き方改革」に逆行し、ブラック化している。受験進学校は、「進学実績」がすべてのような価値観があることは知っているが、進研模試のベネッセの影響力は、静岡県では強い。そこが情報源になっているからだ。教員には、改革意識がない。本来の教育の目的が分かってはいない。「教員の目的とは」をブログで書いたが、まるで絵空事のようだ。旧態依然とした体質が変わってはいない。教員も、生徒も疲れ切っている。彼の言葉を使うと、教員がお互いの首を絞め合っている。教員が生徒の首を絞めているような状況だと。ブラックな勤務状態だと言える。

 多くの生徒は、4時まで授業を受け、その後7時まで部活動をし、それから塾に通っている。私の孫も、御殿場南高校に入学してからの生活は同じようだ。野球部の部活動が終わってから、学校の近くの塾に通っている。これが進学校の実態とは。明らかに教育の在り方がおかしい。受験の偏差値重視から脱却できない。

 冨士高校の英語は、中間・実力・期末・課題試験に、週テストがおこなわれていると。年間の副教材の費用が2万円かかる。教員も生徒も忙しいのが現状だ。学年は、40人学級の7クラス編成のようだ。進学実績が、東大を含め200人を超える生徒が国公立大学へ進学する。私の時代の受験競争との違いはあるが、昭和の旧態依然とした競争原理は、何も変わってはいない。

 教育が変わらない限り、日本の将来はないと、私は認識しているが。実に嘆かわしい現実だ。愕然としたことは、教員を差別化し給与格差をつけていると知ったことだ。教員評価は、校長のさじ加減になっている。体制に従順な教員が従順な生徒を生み出している。イエスマンの再生産になっている。この「負の連鎖」を断ち切れないことに日本の教育の問題がある。