私の考える教育の目的は、「物事を自分で考え、選択し、判断して行動する力」を身につけるけること。すなわち、「自立(自律)する人間」を育てることにある。

 

 昨日の毎日新聞「教育の森」、千代田国際中学校長・日野田直彦さん(46歳)に聞く「学校再建」の記事を読み同感した。新聞の見出しに「主体性伸ばし挑戦できる場に」とある。学校がどんな場所であるべきかを端的に表している言葉だ。彼の言葉を引用する。

 「今の学校教育は、資本主義社会における労働者を大量生産するシステムの一環として作られました」。所謂、「指示待ち人間」と言われる主体性のない人間を生み出したことが、日本の教育の弊害と言える。

 「いまだに知識やスキル、偏差値を重視し、自己主張や主体性ない人材を育てようとしている。社会の変化に追いつけない日本の学校では、21世紀の社会で生きていくために必要な力は身につけることはできないでしょう」。

 「求められるのは、身の回りの小さな問題を解決できる人材です。できないと決めつけず、自分で考え、行動する自立した人です」。これは、私の教育観と変わらない。

 知識やスキルとともに主体性を伸ばし、安心していろいろなことに挑戦できる学校。それが日野田さんの考える「最適」の学校だ。 時間割は、3分の2は知識を学ぶインプット型の授業、3分の1は対話やプレゼンなどを重視した授業で構成。「インプットは必要ですが、そればっかりではダメ。かといって、アクティブな授業ばかりやるのは生徒が慣れていなく無理です」。

 何事も、失敗を恐れていては身につかない。失敗から学ぶことが大切だと思っている。私は、人生は、「試行錯誤」の繰り返しだと考えている。人生の責任を負うのは自分でしかない。「自己責任」が問われる時代だ。

「学びは本来、楽しいもの。夢や目標があれば、生徒は放っておいても勉強します。勉強は手段に過ぎません。目的を探すのが先です」と。全くの同意見だ。興味・関心を持ち、好きなことであれば、いくらでも主体的に勉強する。テレビ番組の「博士ちやん」がその好例だ。子どもの吸収力はもの凄い。現代的な若者の言葉の表現で、我々からすると「やばい」となる。

 「大切なのは、人生の選択肢を広げること。学校はきっかけを与え、可能性を広げる場所です。経験の幅を広げることが、選択肢を広げることにつながります。だからグローバル教育をやっているのであって、それ自体が目的ではないのです」。夏に、マサチューセッツ工科大学と提携し米国ボストンへの短期留学を企画した。英語で起業家精神を学び、自分なりのビジネスを考える企画。起業家の情熱に触発され、生徒も失敗を恐れず挑戦するようになった。私も、海外留学を経験したかったとの思いは強い。

 「日本に閉じこもっていては、生きていけません。外国の人と仕事をし、一緒に課題を解消する能力が求められる。それには海外大学という体験が効率的です」だが「海外に行け」と生徒に言ったことはない。「海外には、いばらの道が待っている」とは言います。一方で、日本を変えたいと思う人には海外進学を勧めます。外の世界を知り、排除とそんたくの文化をまっとっていない海外からの帰国者が、日本を変えるには必要です」。

 島国の日本の文化を変えるには、外国の文化を学んだ人間が必要と感じさせられた。ハイブリット人間が求められる。これからの時代、「人がいかに生きるか」が、教育の課題となっている。教育の目的は、自立した人の生き方にある。