赴任時の御殿場南高校は、受験による進学校だった。私にとって、本格的な受験的指導は、この学校が最初と言える。受験指導は、偏差値に基づくのが一般的な指導になっていた。教員も生徒も、そのことに疑問を抱いていない。何のために、大学進学を考えるかよりも、偏差値で大学を選ぶ生徒もいる。そのように指導をする教員もいる。本末転倒と言わざるをえない。偏差値は、一つの物差しに過ぎない。教員も生徒も、偏差値に依存する傾向にある。

 私の進学指導は、授業の中で生徒の学力を判断する。その視点から、模擬試験の成績を参考にする。何人の生徒からも個人的に相談を受けていた。私が文系シラバス1を担当したクラスに、3人の優秀な生徒がいた。彼らは、沼津東高校に行っても、上位に入れるレベルにあった。この生徒たちを、2年間英語の授業を担当した。人生・教育・言語・文化に関する英文の時には、余談を交えて教えた。私自身、余談や雑談できる授業をするのが好きなタイプだった。前任校では、そのような授業はしたくてもできなかった。興味・関心のレベルに差があるのが事実だ。この学校の生徒は、私の授業スタイルを受け入れてくれた。「何のために」との目的意識の重要性も話した。Oは、よく研究室に来て話しをした。彼は、おじいさんに育てられたようだ。そのためかわからないが、大人との会話を好んでいた。私も一人の人間として対等に接していた。彼から進路の相談をよく受けていた。彼は、一橋大学の経済学部に進学したいと言っていた。私は、正直に「それは、厳しいね」と言った。1年次の学習努力の不足を指摘した。1年の時から頑張り続けて来た生徒にYがいた。Yには、「無理をしない方がいいよ」と言った。この二人を1年生の時には教えていない。学年主任のAさんから情報を得ていた。「二人を足して2で割るとちょうどいいのだけどな」と言った。Oには「能力的には、一橋大学に入れるレベルにはあるが、もう一歩足りないと思うけど、頑張れよ」と言った。Oは頑張って、横浜国大の経済学部に合格した。Yは東北大学の人文学部に合格した。二人とも現役で合格し、よく頑張った結果だ。自分で目標を持って努力することが素晴らしい。私たち教員は、彼らのサポーターに過ぎない。もう一人は、一浪して明治大学の法学部に特待生で合格したと聞いている。彼らのように学習意欲のある生徒たちを教えることは、とても楽しく緊張感があった。

 この学校に来てから、英文の読解のスキルとして、スラッシュ・リーディングを取り入れた。それは、一つの英文を5~8語程度に区切って、英語の語順で読み下す方法だ。英文の訳読とは異なる。英文の基本的な仕組みを、英文法として教えた。最終的には、英文を普通の日本文に和訳し、プリントとして配布した。私にとっては、日本語表現の勉強になった。

 私の世代が経験してきた英語の授業は、難解な英文の読解と重箱の隅をほじくるような英文法が教材だった。大学受験のための授業だった。教材のレベルそのものは、大きく変わっている。しかし、教員の授業方法は、ほとんど変わっていない。実用的な英語は、教わってもいないし、教えても来なかった。中学・高校と6年間英語を勉強しても、英語を聞いたり、話したりすることができないのは当然のことと言える。受験英語学習の弊害でもある。私の世代を含め、上の世代の教員の中で、英語に堪能な人はほとんどいないのが現実だった。