私が転勤した三島の高校は、生徒指導困難校の一つとの見方をされていた。私が34歳の時だった。教員としては、中堅になり仕事の責任もより感じるようになっていた。当時、この学校は、男子の普通科3クラスと商業科5クラスの併設校だった。商業科は、ほとんど女子だった。ここでの1年目は、普通科3年の副担任で、3クラスの授業を担当した。大学進学を希望している生徒は少数だった。女子高校を経験したために、男子生徒だけを相手にすることは、精神的には楽だった。外部からの評判とは、生徒の印象が違った。この学年の普通科は、新設高校ができたために、来ることを望まなかった生徒が少なからずいた。翌年度から、普通科の1年の担任となり、3年間、担任として男子クラスの生徒を教えた。次の3年間は、商業科の女子クラスを担任した。次の2年間は、男子クラスの副担任をし、その学年が3年の時に、ピンチヒッターで担任をした。

 この学校の男子は、頭が悪いわけではないが劣等感のために、はけ口を求めがちだった。そのために、喫煙や器物破損等で不満を表す生徒がいて、他の生徒への影響力が強い。学校移転に伴う学科改編前の普通科最後の男子生徒の扱いは、実に大変だった。まさに、生徒指導困難校だった。この普通科の男子クラスで、まともに授業ができる教員はほとんどいなかった。富士市の進学校から、教頭に昇格して赴任してきた教員がいた。彼は、「私は、前任校で生徒課長をしていたので、生徒指導には自信がる」と発言していた。彼が3年男子の1クラスの授業を担当した。その教員の授業は、全く成り立たなかった。彼の授業に限らないが、話しをしている生徒やトランプをして遊んでいる生徒、教員に向かってチョークを投げつけるありさまだ。それに対して、複数の教員が、注意もできずに、ひたすら板書しているだけの授業光景だった。教員としての力量がないと言わざるを得ない。担任の立場でも、教室に入って注意することはできない。授業は、教員の城であり、自由裁量の場でもある。帰りのホームルームで、そのことを注意するが効き目はない。私の授業では、このようなことはなかったが、腹をくくって生徒に向き合わなければならなかった。ある時に、一人の生徒を怒鳴りつけて叱った。この生徒が番長だった。私に殴りかかってこようとしたが、周りの生徒が止めにかかった。この生徒の問題行動が表面化した時に、担任としてかばうことはしなかった。クラスの癌になっていた人物だからだ。

 生徒課会議、職員会議を経て、方向転換の指導処分が決定された。何度も家庭訪問して、親と生徒に話をした。この生徒の態度、周りの生徒への影響力をずっと見ていた。担任は生徒課会議では、弁護士的な立場になる。何人もの生徒をカバーしてきたが、この生徒への処分には賛成の立場を取った。結局は、この生徒は退学することになった。この生徒の名前は忘れることはない。風の便りで、大学検定に合格し大学に入ったと聞き、ほっとしたことは、記憶として残っている。生徒指導困難校は、教員一人の力では難しいとは思っているが、教員の力量が問われる。「本気の姿勢」は、生徒にもわかる。試行錯誤の繰り返しが、経験値を高める。経験値が人を成長させる。