私が囲碁を覚えてから40年を越える。同僚が碁を打っている光景を見ても、何の興味もわかなかった。とういうよりも、碁盤の上で、白と黒の石を交互に打っているのを見ても、全くわけがわからなかった。囲碁の何が面白いのかと思っていた。

 私の先輩教員(20歳年上)でお世話になった先生が、一番強いと聞いていた。その先生とは、麻雀を打つ機会が多くなるとともに、親しくさせて頂いた。その先生は麻雀も強かった。物事をよく考えるタイプの頭の良い先生で、先生方からも一目置かれる存在だった。

 私が囲碁を始めた動機は、この先生と共通の趣味を共有したいと思いからだ。先生との出会いがなければ、碁を覚えることはなかっただろう。先生に打ってもらえることをモチベーションにして、本で勉強することになった。幸いなことに、私よりも半年早く始めた同僚がいた。二人で、お互いに本で勉強しながら打つようになった。囲碁の基礎を理解して、他の同僚と打てるまでに、1年程かかった。

 この頃のメンバーが18人いて、定期的に囲碁会を続けていた。転勤してから、年に1回、温泉旅館に宿泊して、「OB教員囲碁会」を続けるようになった。その時のメンバーが16人と記憶している。6月の第4土曜日が定例会になり、現在まで続いている。昨年から、6人になってしまった。亡くなった人や病気で来られなくなった人もいる。

 

 20年以上前に、同僚のEさんからネット碁を紹介され、2015年くらいまでは、主にインターネットで打っていた。その頃、コンピュータにプロ棋士が敗れ、囲碁の世界に大きな変化が起こり始めた。今では、コンピュータとの対戦で、トッププロ棋士が2子のハンデでは勝てなくなっていると聞いている。

 コンピュータのおかげで、長い間の人間の常識が覆されることになった。本で学習した囲碁の基礎に変化はないが、序盤・中盤・終盤の考え方がなくなっていると言えるかもしれない。コンピュータの扱いで、年配の棋士にはついていかれない世界になっている。

 このことは将棋の世界にも言えることだ。藤井聡太が21歳2か月で、八冠制覇の快挙を成し遂げた。凄いことだ。コンピュータを使えなければ、勝つことはできなくなっている時代だ。

 

 今年の5月に、Eさんから「裾野碁楽会」に誘われ、人との対局をし始めた。会員は、12人くらいで、毎月、第二金曜日を除き、3回行われている。棋力の差は大きく、ポイント制で対局する。私は、20局程度しか打っていないが、再び碁の面白さを感じられるようになった。ネット碁も再開することにした。棋力は上達してはいないが。

 今の囲碁は、戦いの連続で、石の死活と戦い方に実力の差が出る。従って、戦いに強いものが勝つ勝負の世界だ。勝負の世界では、メンタル面が大きく左右する。見下ろされていると感じたら、勝つことはできない。逆に、見下ろすことができれば、勝てると言うことだ。

 勝負の世界は、勝たなければ面白くない。負けて学ぶことも大事なことだ。