昨年、後期高齢者になり、その2年目の誕生日(76歳)を迎えた。この年齢では、特別の感慨はないが、ここまで生きて来られたことに感謝しなければならない。「衰えは足からくる」と言われるが、まさに実感している日々だ。生きていく基本は、健康にある。健康でなければ、何事も楽しむことはできない。この20年間、私が実感してきたことだ。
私の現在の一番の支えは、次男の子ども・紗奈の元気な笑顔と言えるかもしれない。昨年の10月8日に生まれた女の子だ。次男の結婚が遅かったので、この年齢になって、三人目の孫を持つとは思ってもいなかった。晩婚の理由は、所得と雇用の安定にあると思っている。団塊ジュニア世代は、この時代的な問題に直面してきた。
私の次男への唯一の気がかりは、結婚して子どもが持てるようになるかどうかだった。もちろん、その意志の決定は次男にあることは言うまでもない。46歳で結婚し、47歳で子どもができたことは、私たち夫婦にとっても、嬉しいことだった。この23日に、次男も48歳になる。健康には、充分留意して欲しいとの思いでいる。
妻と私は、1947年の6月生まれの同じ年齢だ。紗奈の成長をいつまで見られるのかわからない。できる限り、見守っていたいとの思いを強く抱いている。昨日も、ラインのビデオ通話で元気な姿を見ている。声を出して笑っている顔を見て癒されているのが、私たち夫婦だ。リモートで孫の姿を見られるとは、便利な時代だ。
・笑顔ほど人を喜ばせるものはない。
・笑顔ほど人の心を癒すものはない。
・笑顔ほど人に安心感を与えるものはない。
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人の性格は、いくつになっても変わらないものだ。私が最も嫌うことは、「強いられる」ことだ。何事も、自分で考えて納得しなければ気が済まない性分だ。群れることも、子供の頃から嫌っていた。私の人生は、いわゆる「忖度」とは無縁な存在であった。しかし、人間関係は大切にして来たとの思いは強い。
「地位や経済的な豊かさを求めず、自ら選んだ道を、試行錯誤しながら、自分らしく歩んだ人生に自負がある。」この意味において、自分の人生に悔いはないとの思いだ。
戦後の物ない時代に育った人間だ。日本の高度成長と共に生きて来た世代でもある。バブル崩壊後の日本経済の低迷期(進行形)も経験している。唯一幸運は、戦争を経験しなかったことだ。ロシア侵攻によるウクライナの悲劇を、メディアを通じて目の当たりにしている。どんなことがあっても、暴力や武力による問題解決は許されないとの思いは、生涯変わることはない。
<戦争ほど悲惨なものはない。戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど人を不幸にするものはない。>
日本は、二度と戦前の過ちを起こしてはならない。安全保障という名のもとに、日本の政治が、大政翼賛会へと向かっていることを危惧している。