私が大切にしている言葉の一つが、「信頼」である。英語では、trust で、信頼・信用と訳されている。日本語では、信頼と信用の意味は、厳密には違いがあると思っているが。私の感覚では、信頼の方が信用よりは重い感じがしている。同義語として考えていいことにする。

 私の考える信頼の3原則は、1)嘘をつかない 2)約束を守る 3)言動が一致する

である。人は保身のために嘘をつくと言っても言い過ぎではないだろう。国をリードする立場にある政治家やキャリア官僚にしてしかりである。「つきは泥棒の始まり」のことわざを知らない人はいないはずだ。「平然と嘘をつくようになると、盗みも平気でするようなる。嘘をつくことは悪への道への第一歩である」。誰もが子供の頃に教えられることである。しかし、嘘を正当化する言葉もある。「嘘も方便」である。「嘘は罪悪ではあるが、良い結果を得る手段として時には必要である」となる。語源としては、仏教の教えに由来するものではあるが。ある意味では、「目的のためには手段を選ばない」との言葉と同意になる。私の考え方は、嘘をつくことは悪であるに尽きる。それでは、「お前は嘘をついたことがないのか」と問われれば、「ない」とは答えることはできないが、方便として使ったことはない。私の考え方は、「正直は最良の策」(Honesty is the best policy.)である。英語のhonestyには、正直と誠実の意味がある。私自身は、自分に正直でありたいとの思いが強い人間だ。

私の人生における信条は、「自分らしく、正直に」である。この生き方を貫いてきた自負がある。

 「約束」は、人間関係で一番分かり易い言葉であると思っている。約束の時間や約束をしたことを守れるかどうかは、信頼の大事な要素である。人間だから忘れることも当然あることだが、私自身に関しては、約束したことは忘れない努力をして来た。不可抗力な場合を除けば、約束を破ったことはないと言える。守れないことは約束をしなかったとも言えるが。自分の妻や子供に対しても、生徒に対しても、同僚に対しても同じである。この点においても、自負がある。

 「言動」に関しては、他人を評価する大事な要素である。「言うこと」と実際に「やっていること」が違っているリーダーがあまりにも多い。建前と本音との言葉があるが、その言葉を巧みに使い分けている教員も少なからずいると言うことだ。42年間の教員生活で、一番感じていたことだ。偉そうなことを生徒に言っている教員ほど上昇志向が強い。そのような人間が、俗に偉く(出世)なっているかもしれない。私自身は、教頭や校長のような管理職を偉いと思ったことはない。勿論、中には立派だと思う人もいるが、ひらの教員の中にも、人間的に立派な人はいる。地位と人間性は全く別である。私が教員になった頃は、大物の校長がいた。県教委に物が言えるような人物だ。現在では、任命権者である県教委に物が言えるような教員は、管理職には登用されない。政治の世界を含め、官民の組織がトップダウンの「組織至上主義」の時代になっている。

 信頼の3原則は、本質的には「人間性」の問題に帰着する