私が生まれたのは、戦後の疎開先から、一時的に住んでいた千葉県の松戸市と聞いている。昭和22年6月15日が誕生日になる。半年後に、川崎市新城の古い住宅に住むようになった。近くには、神社があり、その裏が原っぱだった。いい遊び場になっていた。

 私の幼い頃は、母が病弱のために、母親の愛情を受けて育てられたとの記憶がない。2歳下の弟が生まれてまもなく、更に病状が悪化したそうだ。弟の出産には無理があったようだ。そのために、私は埼玉の田舎に住む祖父母のところに半年ほど預けられた。その時に、叔父が私を迎えに来て、「上野の動物園に連れて行ってあげるよ」と言ったが、着いたところが埼玉の母の実家であった。途中で「どこに連れていかれるのかな」と幼い心で感じたことは、今でも記憶に残っている。弟とは2歳の違いだから、3歳頃の記憶である。

 田舎で私の相手をして遊んでくれたのが、当時そこにいた雑種の犬だった。犬の名前の記憶はないが、毎日その犬に遊んでもらった記憶は、はっきり残っている。私にとって、私より大きいその犬が唯一の遊び相手で、何をしても怒らないで私の相手をしてくれたのだった。私の寂しさを一番わかってくれていたようだ。田舎にいたのは半年ぐらいのことだった。一年後に再び田舎に行った時に、私がバス停から降りて、500メートル程先の家が視野に入った時に、その犬が飛んで迎えに来てくれた。その時の鮮明な記憶として残っている。その犬が、私の最初の犬との出会いで、最初の友達だった。犬とは利口な動物で、人と共生してきた歴史が長い。犬や猫は人にとって大切な友でもある。

 私の父は平成2年に亡くなった。父が生きていた頃に、シェルティーを飼っていたことがある。父の強い要望だったのだが。三島南高校の同僚にブリーダーを紹介してもらった。5匹生まれた中の一匹を5万円で譲ってもらった。私の手のひらに乗るくらいの時期に、家に連れてきた。小さな庭に芝生を植えて間もない頃だった。中型の犬小屋を買ってきてベランダの下に置いたが、この犬小屋を使うことはほとんどなかった。家の中で飼うようになり、犬も家族の一員と思っていたようだ。実に繊細で利口な犬だった。私たちの気持ちがわかるようだった。バロンという名の血統種の犬だ。約10年の短い命だった。私には従順であったが、散歩に行くときに、行きたくない方向に連れて行こうとしても、頑として座ったまま動こうとしない頑固な犬だった。バロンとの思い出はたくさんある。

 話しを戻そう。私は幼稚園に通っていなかったので、小学校に入る前に、他に幼いころの友達の記憶が全くない。私の同世代がどのくらい幼稚園に通っていたかは知らない。現在、私の孫は、中学校2年生の男の子(翔)と、小学校6年の女の子(煌)の二人がいる。孫が保育園に通っている頃は、発表会や運動会には必ず行っていた。行事の時には、祖父母が保育園に行き、孫の様子を目で追う姿が自然な時代になっている。孫が元気で成長してくれることをただ願っている。

 私の幼少期の記憶には、母親が病で横になっている姿しか知らない。母親の笑顔を知らないのが、私にとって一番残念で寂しい記憶になっている。