19路の囲碁を対面で打つ機会は、ほとんどない。年に一度の吉原高校教員OB囲碁会だけになっている。その囲碁会も、コロナ禍のために、本年度は中止することになった。この会も、いつまで継続できるかわからないのが現状だ。約40年の歳月が経過しているが。

 最近、友人のEさんに勧められて、ネット碁を再開し始めた。KGS囲碁で、以前はよく打っていたサイトだ。最盛期には、日本のサイトにも世界から多くの人が来ていた。簡単な英語でチャットした記憶が残っている。アジア及びヨーロッパの人とのコミュニケーションの機会があった。最初は、お互いに日本人とは気づかずにいたこともあった。囲碁人口が減少すると共に、このサイトも賑わいがなくなってしまった。

 Eさんからコンピュータとの対戦が面白く、ネット碁に再びはまっていると聞いた。私がネット碁をできるのは彼のおかげである。彼には、何度もパソコンの設定をやってもらっている。何年ぶりになるかは忘れたが、再び打ち始めている。ほとんど、対人での対局をしている。感覚だけで打っているのが現状で、自分なりに納得できるゲームは少ない。ゲームを楽しめることができればいいのだが。つい感情的になってしまうことが多くある。冷静さを失うと、全体が見えなくなり、局部的な戦いに陥ってしまう。

 世界のトッププロ棋士がコンピュータ囲碁に敗れてから5~6年が経つ。囲碁の世界で、人間がコンピュータに敗れる時代がこんなに早く来るとは想像もしていなかった。少なからずショックを受けた記憶は忘れることはできない。プロが長い間築いてきた定石は、コンピュータによって崩され、プロの囲碁に対する考え方そのものに大きな影響を与えている。コンピュータ囲碁は、まさに盤上の格闘技と言えるかもしれない。勝つか負けるかの戦いの連続である。たとえ負けても、コンピュータには、「悔しさ」の感情はない。

 コンピュータと人間の違いは何だろうか。人間には、「感情」があり、精神的ストレスや肉体的疲労がある。コンピュータには、それらがないということだ。人間とコンピュータを同次元で比較する意味があるのだろうか。人間とコンピュータは別の世界と考えるべきではないだろうか。

 大阪なおみ選手の会見拒否が話題になり、彼女の「うつ病」の告白が大きな波紋を広げている。アスリートとメンタルヘルスの問題がクローズアップしている。アスリートにとって、「弱みを見せるのは難しい」と言われる。アスリートもやはり「人」であり、精神的には特別な存在ではないことが認識される。アスリートには、強靭な体力と強靭な精神力が求められるが、特別な人間と言うことはできない。「弱さと強さ」を持つ存在が人間ではないか。

 囲碁の世界でも、トッププロ棋士の囲碁観に変化が出ている。勝ち負けだけではない人間らしい囲碁の世界へと。「芸術性」は、人間の内面から生まれてくるもので、感情のないAIからは生まれてくることはない。AIが進化すればするほど、人間の存在が問われるのではないだろうか。