民主主義とは何だろうか。今の日本は、民主主義なのだろうか。私なりに考えてみることにする。英語では、デモクラシー(Democracy)であり、その日本語が民主主義である。原義はギリシャ語で「人民による支配」である。
日本は、欧米の民主主義を取り入れてきたのが歴史である。日本は、議員内閣制であり、アメリカの大統領制とは異なる。アメリカでは、11月にコロナ禍における大統領選挙が行われた。ジョー・バイデン(民主党)が、現職のトランプ大統領(共和党)を接戦の末破り、勝利した(トランプは敗北を認めないが)。大統領選はアメリカを二分し分断する選挙になった。歴史上最高の投票率の激戦となった。
4年前の大統領選で、クレージーなトランプが大統領に選出されとは思ってもいなかった。トランプの熱狂的な支持者が多くいるのもアメリカの現実だと。信じがたいことだが、事実として受け止めらければならないことだ。今回の大統領選挙は、トランプ対反トランプの壮絶な戦いであった。トランプは、7100万票もの得票を得ての敗北となった。歴代の大統領の得票を上回った。
カマラ・ハリス次期副大統領は、故ジョン・ルイス下院議員の「民主主義は状態ではなく行動である」との言葉を引用して、「アメリカの民主主義は保証されていない。私たちが民主主義のために闘い、守る意思があってこそ強いものになる。民主主義を守るためには、苦しい闘いがあります。犠牲もあります。しかし、そこには喜びがあり、進歩があります。なぜならば、私たちにはより良い世界をつくり出す力があるからです。」と演説の冒頭に語った。 民主主義は、国民一人一人のためのもであって、一握りの支配層や政治家のものではないということだ。民主主義は、闘い続け勝ち取るものだと教えてくれている。
日本人とアメリカ人の国民性の違いに目を向けてみよう。一例として、「ベースボール」と「野球」の違いは何か。野球もベースボールもチームプレーのゲームであることにはかわりはない。ベースボールは、個人プレーを基軸とするチームとしての戦いだ。しかし、野球は、チームが優先される「フォア・ザ・ゲーム(For the game)」であり、チームに貢献しない個人プレーは認められないのが日本の文化である。日本は、チームが主体であり、個人はそのチームに従属すべきとの考え方が一般的と言える。一方、アメリカは、個人が主体であり、その個人の集合体としてのチームとの考え方になる。日本の野球は、スモール・ベースボールとも呼ばれるようになっている。この文化の違いは、野球に限られたことではない。それぞれの長所、短所があることは否定することはできないが。結論するならば、バランスの問題になるのではないか。バランス感覚こそ大事なのだが。
我々日本人は、自分の意思表示をはっきり表すべきではなかろうか。「長い物には巻かれろ」から脱却しなければ、日本は国家主義の道に進む危険性が潜んでいる。我々日本人も、より良い未来をつくり出すために、闘う時が来ていると思う。民主主義の根幹をなすのが選挙である。我々は、選挙において自らの意思を表明するしかない。民主主義のために、欺瞞に満ちた利権構造の政権と闘わなければならないとの思いである。