自己満足かもしれないが、楽しむこと、楽しめることは、年齢関係なしに大切だと思っている。歳を取れば取るほど、より大切なのかもしれない。楽しみ方は、人それぞれであり、他人に迷惑をかけない限り、何でも有りだと思えるようになった。まさに多様性である。
今の時代、人があまりにも自己中心的になり過ぎていると思えてならない。人間の本性として、自己中心的であることを否定できないが、自分の利益だけしか考えない人間はどうなのだろうか。他人の利益を考える「利他の心」が大事ではないだろうか。利他の心と言うと、固く大げさに聞こえるかもしれない。自分で楽しむことが、他人が喜んでくれることに繋がればいいのではないか。他人に喜んでもらえると、素直に嬉しいものだ。
アナログ人間の私には、デジタルな世界は苦手である。しかし、デジタルな世界を避けることのできない時代になっている。この私でも、パソコンとスマホは欠かせなくなっている。パソコンもスマホも使い方がわかっているわけではない。率直に言うと、簡単な操作しかできない。ユーザーとしては、まさに初心者だ。それでも、それなりに楽しむことができるようになっている。インターネットの世界はよくわからないが、このブログを書くためには、ワードを使うしかない。そのブログの発信は、インターネットである。ブログ自体は、自分が好きで書いているに過ぎないが、文章を書くことの楽しさを知ったことは事実だ。フェイスブックを通じて、写真をアップすることで、リアクションがあると嬉しいし、アップした写真を喜ぶコメントをもらえると、ますます嬉しくなる。カメラを操作する技術はないので、ショットにポイントを置いているだけだ。富士山や花の写真を撮るのが好きになったと表現したほうが適切だろう。写真を撮ることを楽しむということだ。
この二日間続けて、忍野村と河口湖に出かけている。目的は、富士山の写真を撮ってアップすることだ。自身のFBに加えて、2つのグループにアップしていたが、更に1つのグループの新メンバーになった。同じアップ写真に対するリアクションに違いがあることがわかってきた。それぞれのグループのメンバーが異なるからだと思っているのだが。もちろん、所属グループには、共通のメンバーもいる。発信して受信する人はいるが、受信して楽しむ人が多くいる。「富士山大好き気楽な倶楽部」は、発信する人が限られるのは当然なのかもしれない。富士山を撮りたくても撮れない人が大勢いる。その人たちは、投稿された富士山を見て楽しんでくれている。自他共に楽しむということではないか。
私は、ある意味で実に単純な人間である。元来、コミュニケーションを取るのが好きなタイプの人間だが、子供を相手にコミュニケーョンを取るのは、実に苦手であり、下手である。又、群れたり、ふざけることができなく、嘘を嫌う人間でもある。 私は、そんな不器用な人間ではあるが、「人間が好き」である。反骨精神を持ち続けると共に、「楽しむ心」だけは失いたくないとの思いだ。楽しむためには、それなりに継続的な努力が必要だと思っている。生きることは、「いかに楽しむか」ではないかと。
