日本学術会議6人の新規会員を菅総理が任命しなかったことに批判が出ているなか、学術会議見直しから廃止論まで出てきている。論点がすり替えられていると言わざるを得ない。日本学術会議法に反して、菅総理は学術会議が推薦した6人の新会員の任命を拒否したことから生じた問題だ。菅総理が任命しなかった理由を明確に説明せずに、「総合的、俯瞰的判断」との抽象的な説明しかしていない。この説明に納得できない国民は、6割を越えている。この説明問題と学術会議の在り方の議論は別の問題であるはずだ。政府の学術会議人事の介入は、学問の自由(憲法23条)の侵害であると、学術会議は反論し具体的説明を求めている。菅総理の説明責任を問いたい。
我々一般の国民の中で、学術会議の活動を知る人は、学者及び研究者以外にはいないのではないか。菅総理に望むことは、国民が理解できる説明をしてもらいたいということだ。その説明をせずに、在り方の見直しや、廃止論が出てくること自体おかしいのではないか。
山極寿一前京都大総長は、「学問の自由への国家権力の不当な介入と非難する意見があるが、私はそもそも民主主義の問題だと思う」と述べている。政府の強権により、民主主義の根幹が揺らいでいる。「全体主義への階段を上がるな」との意見には同感する。
憲法第97条、この憲法が日本国民に保障する「基本的人権」は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない「永久の権利」として信託されたものである。
憲法学者の木村草太都立大教授は「私が憲法で1番重要と思うのは9条より97条。なぜ憲法がどんな法律にも勝る最高法規なのか。それは人類が長年の歴史で多くの犠牲を出して学んだ『国家権力の過ち』をことごとく禁止しているから。ちなみに安倍改憲案では97条をまるごと削除。余程都合が悪いのだろう」と。改憲は9条だけではないことを知らなければならないと思った。菅総理の著書「政治家の覚悟」改訂版では、野党時代に公文書管理の重要性を訴えた個所の記述を削除した。都合の悪いことは、隠蔽したり削除する政権の体質は、安倍政権を継承し、更に上回る強権を発動するのが菅政権である。
「日本学術会議は廃止せよ」との意見広告が、読売・日経・産経新聞に掲載された。公益財団法人・国家基本問題研究所、理事長・櫻井よし子等の名前が列挙されている。憲法問題と同様、軍事研究の足枷の学術会議を戦後レジームの遺物と見做し、廃止を目指すと表明。櫻井氏は、日本会議の広告塔でもある。安保法制の時にも、櫻井氏の写真と共に意見広告が掲載されていたことを記憶している。
自国防衛のためと称し、戦争を可能にする日本に変えようとする政権及び支持する保守勢力が強大化していることを知らなければならない。私は、孫の世代を戦争の犠牲にしたくないと心から願っている。学術会議問題と改憲問題がリンクしていることを危惧する。