一口に人間関係と言っても、人それぞれの関係は、異なるものだ。個人が異なるように、人間関係は多様である。共通する要素は、感情的部分が強いと言える。一般的に言うと、人間は感情的な動物であり、社会的な動物でもある。
ここでは、私が経験してきた主な人間関係を基に書くことにする。大学時代は、自身の生き方を探し求めると共に生涯付き合える友を作る努力をしたつもりだ。本音で話しができる友を求めていた。卒業すると、進む道が異なり、会って話す機会は少なくなる。お互いに結婚し家庭を持つようになると、更に機会が少なくなるのはやむを得ないことだ。「〇〇君や〇〇さん」と呼ばなくてすむ人間関係は大切なものだ。就職すると、職場の人間関係の比重が大きくなる。しかし、学生時代のような親しい友人関係は、ほとんど作れないと言っても過言ではない。それは利害が生じるからにほかならない。私の経験には、同期の人間関係はないので、その点に関してはわからないが。
教員の世界には、同僚や先輩との人間関係と生徒との人間関係がある。教員の場合、担当する教科の学力が一定のレベルさえあれば、授業の工夫と努力でどうにでもなる。教員の中にも、人間関係で悩むケースが多くあることは確かだ。教員間の人間関係や生徒との人間関係に悩むことが多いのではないかと感じているが。
私は、定時制という自身の知らない世界でスタートした。教科に加えて、クラス担任としてクラス運営と指導を任されていた。その責任は重く、暗中模索と試行錯誤の連続だった。最初の頃は、ノイローゼのような状態にもなっていた。もがきながら、自分でできることをするしかなかった。誰にも助けを求めることはできない。私のモットーである「自分らしく、正直に」生徒との人間関係を築く努力をした。最も大事な「信頼関係」を実感できるまで、二年という時間がかかった。これほど長く感じた時間は、今日までない。この厳しい時間を乗り越えることで、生徒との人間関係を楽しむことができるようになった。特に、他の教員との人間関係に困るようなことはなかったが、職員会議の発言によって孤立感を味わう経験はしてきた。正論が必ずしも通る世界ではない。これは、人間組織に共通することではあるが。
私は一つの手段として、麻雀を覚えることで、同僚との人間関係を作ってきた。この方法は、40代中頃まで勤務した学校では続けてきた。しかし、時代の変化と共に教員の世界も変化していった。教員同士の横の繋がりとなる人間関係が希薄になっていった。私のようなプライベートでの麻雀に限ることではないが、忘年会の変化が、教員の人間関係の変化の象徴として表れるようになった。是非はともかく、従来の慣例がだんだん崩れていくようになった。そのことと比例して、教員同士の横の関係が希薄になるだけではなく、先輩教員と後輩教員の人間関係の繋がりも無くなっていくことになる。私の世代は、人間関係の中で、時には助け合うこともあり、それなりに機能していた。現在の教員には、横の繋がりの人間関係は無くなっている。私の定年(2008年)以前からそのことを感じていたが。教員がサラリーマン化し、真面目ではあるが、個性を表に出す教員があまりにも少なくなってしまったことは残念なことだ。又、コンピューターの出現が、仕事の在り方や人間関係にかなり大きく影響している。残念ながら、職員室の雰囲気が全く変わってしまった。
コロナ禍で、一斉休校からオンライン授業に移行し、対面の授業が遅れて行われているが、教育はデジタルよりもアナログの要素が大きい。「人と人が触れ合う」人間関係なしには、教育は成り立たないと、私は思っている。人は人の中で育つものだ。人間をデジタル化することはできない。情報化社会で、AIの活躍の場が広がっている。しかし、AIを扱うのは、あくまでも人間である。人間は、人間関係なしには、存在できない。