自民党菅新総裁が選出された。明日の16日の臨時国会首班指名で、第99代内閣総理大臣に選出される。メディアでは、自民党執行部役員及び閣僚予想が報道されている。派閥のバランスによる菅政権が誕生することは間違いないだろう。適材適所の言葉が虚しく聞こえるのはいつものことだ。国民のための政治を望んでいるが、党利党略を強く感じざるを得ない。自民党の党是が、憲法改正である。現在、国民の多くが憲法改正を望んでいるわけではない。コロナ対策が優先され、経済対策が喫緊の課題である。

 自民党執行部人事及び内閣人事は、無派閥の菅総裁を誕生させた5派閥のバランス人事になると予想されているが、菅カラーが出せるのかどうかに関心がある。ワンポイントリリーフ政権になるのか、本格的政権になるかは、1年以内に行われる総選挙次第になる。

 人事に関心を持ち、人事に左右されることは、組織に所属している人間にとって、避けることはできないことだ。個人の能力よりも人間関係で決まるのが現実である。適材適所といっても、その判断をするのは、人事権を持っている人である。

 私が経験したことを、率直に書くことにする。私は、神奈川県の出身で、大学は横浜である。静岡県には何の縁もなかったが、教員採用試験で採用された。採用試験は、需要と供給の関係で倍率は決まってくる。私のような団塊世代を教える教員は、需要よりも供給が多かったと聞いている。昭和16年生まれの世代までは、実質的には無試験と言ってもいいようだ。そのためか、実に個性的な教員が多い。

 私の世代は、供給が少なく需要が多かったことは事実だ。従って、採用試験の倍率が高かった。競争は、私の世代の宿命ではあるのだが。採用及び人事は、県教育委員会にある。人事担当が、各学校へ配置することになる。私の時は、約8割が定時制か遠隔地の高校に配置された。高校で人事権を持っているのは校長である。校内の人事に関しては、教頭(現在・副校長)に任せている場合が多く、校長の決裁となる。校長は、教員の人事異動に関する権限を持っている。県教委の人事担当との交渉で、教員の転勤及び転勤先が決まる。

 通常は、人事異動届提出後の12月に校長との面談が行われる。人事異動の内示は、3月中頃にあり、ほぼ1週間後の新聞発表が正式な発令となる。その間に、1~2回の面談はある。転勤の可能性の有無や、予測される地域や校種が伝えられ、それに対して希望は伝えることはできるが、希望が通ることはほとんどない。私は、2回理由をつけて断ったことがある。その年の転勤はなくなった。最後の異動では、私の希望を通してもらった。

 原則的には、3年以内の転任はなく、7年以上の勤務者は異動対象になっている。これは、あくまでも原則であり、校長の影響力が大きい。私の世代の初任者研修会では、定年までに5~6高校の勤務になると言われた。私の場合はその原則に当てはまっている。その後、新採用者は10年で3校が原則になった。また、同一校での勤務は10年を超えないのが原則となっている。これらの原則は、校長の裁量になっている。つまり、人事権は校長にある。その原則は、教員を異動させる口実にはなっているが。

 校内人事については、年末に新年度の分掌希望届を提出する。内容は、学年及び正副担任、分掌希望(教務・生徒指導・進路指導)、部活動になっている。教頭(現在・副校長)は、校内人事を行い、通常の校務運営の中心になり、校長の補佐を担っている。単独教頭から複数教頭制度に変わり、総括教頭と指導担当教頭になった。総括教頭が副校長になり、校務を統括し、教頭は指導担当との役割で、授業も持っている。管理職になるには、学年主任から教務・生徒・進路主任(課長)を経験し、校長の推薦を受け、教頭に昇任する。更に副校長に昇任しその後、校長へと昇任していくケースが一般的である。40代の中頃に、県教委の指導主事に抜擢されてから副校長、校長へと昇任するケースはあるが、少ない。私の同僚(先輩・後輩を含む)の中には、この管理職の道を歩いた教員が何人もいる。

 その具体例を挙げることにする。私が吉原高校に赴任した時(27)に、同時に赴任したKさん(39)とTさん(35)がいた。その二人とは、初対面の日から、1年間よく麻雀をした仲間だった。1年後のある時に、Kさんと話す機会があった。その時に、「相川さん、偉くなりたかったら、麻雀をしていたら駄目だよ」と言われた言葉はよく記憶している。Kさんは、その言葉通り麻雀をやめた。2年目に学年主任になり、その後教務課長を務め、教頭、副校長、校長を2校務めて定年退職した。校長としての評判は悪くはなかった。Tさんも、学年主任、生徒課長から教頭、副校長、校長で退職した。彼とのエピソードがある。裾野高校の校長の時に、玄関横の事務室前で立ち話しをした。「相川さんはいいよな」と言っていたことが忘れられない。校長室におさまってはいられない人だった。私と同世代にも校長になったのが二人いる。一人は、指導主事を務めて准校長で終わった。これは例外的なケースである。それなりの理由は耳にしている。彼は、教科指導特に受験指導は得意だが、管理職には不適任だった。吉原高校時代は、彼ともよく麻雀をした間柄だ。

 校内人事にしても、管理職の登用にしても、適齢期(40代前半)に勤務した学校の校長との人間関係次第ということになる。人事は、人間の組織に共通することで、上司の評価によって決まるということだ。私の同僚の友は、教務課長を10年以上務めるほど実務に優れ、複数の校長から管理職への推薦を受けたが、断っていた。管理職には、断ることそのものが理解できないようだ。多くの人は、出世を望んでいるからだろう。しかし、役職と人間性は一致するものではない。役職は組織においては、その役職に応じた力を持てるが、役職が高いことが人間的に偉いということではない。要するに、価値観の問題ではあるのだが。人事は評価によって決まるが、所詮、評価は人がすることだ。私は、人の評価によって左右される人生は好まなかった。