昨夜の金曜ロードショーで、「君の膵臓を食べたい」を観た。3年前の映画だが、タイトルだけは記憶している。どんな映画だろうかとは思ったが、タイトルがショッキングだった。 一言で言えば、「ピュア・ラブ」ということだ。高校生のプラトニック・ラブが描かれている。ストーリーは、シンプルだが、「人の死」を考えさせられた。最近、長年の囲碁の仲間で、6歳年上の元同僚が癌で亡くなった。「生老病死」は避けることができないことは、頭では理解してはいるが、切実感はない。だからこそ、生きていられるとは思っている。余命が宣告されたら、自分自身はどうなってしまうかはわからないが、普通の精神状態ではいられないだろうと思う。私も必ず死ぬことは確かだ。しかし、明日のことは誰にもわからない。英語の言葉に、”There is no telling what will happen tomorrow.”がある。受験生は、誰もが覚える表現である。「明日何が起こるかわからない」の意味であるが。But we believe that tomorrow will come.(私たちは明日があると信じている)が本音ではないか。それ故に、私たちは日常生活を送れるのだろう。私のような心の弱い人間は、とても普通の生活を送れるとは思えない。死に対する恐怖心に苛まれるに違いない。自らの人生をどう振り返るのか、様々な思いを抱くのではないか。平静な状態の心境を私が短歌に託すと、「吾が道を歩みし人生悔いはなし選びし道を信じるままに」になるのだが。自ら考え選んで歩いた人生には後悔はないとの思いである。試行錯誤の人生ではあるが。自分なりに納得できる人生だとは思っている。私の願いは、「生まれてきてよかった。ありがとう」と言える死を迎えたいに尽きる。「人生は思ふようにはゆかぬもの試行錯誤で吾が道歩めり」が私の人生だ。私の大学時代からのテーマは“自分らしく、いかに生きるか”であり、死ぬまで変わることはない。
女子高生の桜良が、膵臓の重い病気を抱え、余命僅かとの宣告を受けている。彼女がクラスメイトの寡黙で人付き合いの苦手な男子生徒(拓海)に、秘密を知られることになる。そのことがきっかけとなり、桜は拓海を翻弄する。「仲良し君」として、二人の交流が深まっていく。お互いに自分の本当の気持ちを伝えることができないまま、桜良は暴漢に刺されて亡くなってしまう。桜良が、死の恐怖を抱えながら明るく振る舞い、拓海を困らせるが、二人は楽しい時間を共有する。桜良の「死ぬまでにやりたいこと」を二人で叶えていく。お互いの心が近づくが、お互いの思いを伝えられないまま、桜良はこの世を去る。
私は、子供を扱うのが苦手な人間だが、高校生は好きである。一人の人間として、会話ができるからだ。高校生は、大人への入り口に立っている。3年間の成長は目を見張るほどである。私は、42年間高校生を教えたが、彼らから学ぶことも多かった。大人が失っているピュアな心を持っている。どうしようもないのもいたが、多くの生徒たちは、良い生徒だった。大人との付き合いよりも、生徒との触れ合いのほうが楽しかったことは事実である。「言の葉に返してくれし君の笑顔(かお)心豊かな触れ合ひの時間(とき)」(2005年)私が初めて短歌もどきを詠み、生徒に伝えたことは忘れることはない。
以上のような思いを呼び起こしてくれた映画と言える。ピュアな心は失いたくない。