昨日は、久しぶりにF君(Oさん)と会って話しをした。コロナ禍で、お互いに気を付けている日々だ。彼との付き合いは長いので、私の体調の変化のこともよく知っている。「今年はいいようですね」と。その通りで、体調の波が小さくなったと感じている。頭痛に悩まされることなくここまで来ている。この10数年来なかったことだ。

 コロナ禍でのマスクに関しては、彼はマスク着用には抵抗はないと言っている。しかし、私はマスク着用には抵抗を感じている。この暑さの中で、マスク着用は、熱中症の危険があると言わるようになったが。密集・密接・密閉の3密を避けるように心がけるのは、当然のことだと思っている。しかし、マスク着用は、自ら状況判断すべきというのが私の考え方である。屋外で人との接触がなければ、マスクの必要性は全くないと考えており、そのようにしている。スーパーや飲食店に入る時には、マスクを着用するが、店を出たらはずしている。

 「自粛」に対しても、国や自治体の首長が、自粛要請すると多数の人が従っている、欧米では考えられないことだ。「ロックダウン」しなければ、人の動きを止めることはできない。歴史的に、「個人主義」の伝統があるからだろう。日本人には、「村社会」の要素が受け継がれている。「自粛警察」なる言葉が出きた。自粛要請に応じない個人や商店に対して、偏った正義感や嫉妬心、不安感などから私的に取り締まりや攻撃を行う社会現象が起きている。

 日本社会には、「同調圧力」のような風潮が根強くある。少数意見を有する者に対して、暗黙のうちに多数意見に合わせるように誘導する力のことだが、多数が正義とは必ずしも言えないし、悪の場合さえあるというのが私の持論でもある。集団や組織の決定に対して、異を唱えると、排除されたり敵視されるような風潮が根強くある。事実、トップの決定がおかしいと思っても、そのことを口に出せる人はほとんどいないと言える。まさに「長い物には巻かれろ」である。保身の極みと言えるだろう。権力により、民主主義の根幹である「言論の自由」が封じられているとさえ感じている。日本のメディアの在り方もおかしいと感じている。政治権力に対峙すべきメディアが権力に迎合していると思えてならない。コロナの感染拡大している状況で、安倍政権は政治の責任を果たしていない。国会を閉会したままで、コロナ終息への対応の議論を避けており、無責任極まりない。安倍総理は、何事にも責任は感じるとは言うが、責任を取ろうとはしない。本気度が全く感じられなく、とても信頼できない政権との認識は、共通している。F君は、テレビで安倍総理の顔を見るだけで、気分が悪くなるとまで言っている。安倍政権を支えているコアな支持層に若者がいるのは、残念でならない。稲田朋美元防衛相は「国民のための政治なんて間違っていると思う」と公言している。こんな議員の集まりが自民党である。現憲法の根本精神は「国民主権」である。戦前の国家主義に戻してはならないし、戦争放棄の平和主義を守り抜かなければならいとの思いが二人の共通認識でもある。 

 政治の話題になると、怒りと個人の無力さを感じる。若者にもっと政治に対する関心を持ってもらいたいと思っている。政治には、あまりにも嘘が多すぎる。国民を欺いているのが政治の現実だ。我々国民は、選挙で意思を表明するしか方法はない。