昨日は、久しぶりに「三人会」を持った。3年前に、自治会の役員として活動した仲間の集まりと言える。昨年の5月にスタートしたが、不定期な気楽な集まりである。コロナ禍で、なかなか集まるタイミングを見いだせなかったのだが。
当然ながら、話題はコロナのことから始まった。お互いに不要不急の外出を控え、ステイホームの日々とのことだった。Withコロナの生活が長引くことは予想される。来年のオリンピック開催は難しいと考えるのが私である。
印象に残る話題は、組織に関することである。元警察官のHさん、元トヨタの研究員のNさん、元高校教員の私である。三人とも全く異なる組織で働いてきた。警察組織は、想像通りの縦社会である。上司の決定に異を唱えることは難しいと。最近、後輩の警察官と話す機会があったそうだが、こちらの言うことを理解してもらえないと感じたそうだ。組織を離れて初めて分かることがあると言っていた。組織の中にいる間は、自身が正しいと思うことを客観的に見る視点は持てないと感じていると。退職して初めてそのことが分かるようになったとの言葉は印象的だった。「眼鏡をかけている間は、部署が変わっても変わらない。眼鏡をはずして初めて、正しいと思っていたことが、本当に正しかったのかと考えるようになった」とのことだ。パソコンの時代になってから、供述調書は最初から、パソコン入力になっていると。アナログ時代は、被疑者と向き合って話しをして、手書きの供述調書を作り、訂正する場合は、赤線で消し、訂正印を押して書き直していた。しかし、パソコンでは、後から供述調書が改ざんされてもわからなくなるような問題が生じているそうだ。事件のストーリーが作られたり、捜査側に都合の悪いことは改ざんされることもありうると。改ざんが行われるのは、官僚の世界だけではない。警察は、上司には逆らえない組織風土があることは確かなようだ。
教員の世界は、上司(校長)の命令そのものがほとんどないと言えるが、校長の意向に沿うように、学校運営が行われていることは事実である。校長の権限である職務命令は存在するが、ほとんど発出されることはない。職員会議には議決権がなく、すべての決定権は校長にある。その校長にしても、県教育委員会の指示には従わなければならない。教員には、ホームルーム運営・授業・生徒指導・部活指導には、裁量の余地がある。ここに教員の個性が表れるが、それだけ生徒への責任が重いということなる。また、教員には、上下の関係がないことが特徴といえる。新卒の教員もベテランの教員も同じ教諭の身分関係になる。もちろん、年功序列的な要素はあるが、それは上下の関係ではない。
伝統や風土の話題で、Nさんのトヨタの話しは興味深かった。彼は、車の乗り心地の研究をしてきたと。一例として、FR・FF・USV車のそれぞれの研究グループがあり、競争意識がある。そのグループの責任者のカラーがはっきり出ること、またそのことが伝統的に受け継がれているとのことだ。Nさんは「組織は、トップの器量によって決まる」と教わったと話していた。また、グループの長が、部下の良いところを褒め合うことで、モチベーションが上がり、良い競争力が働くとの経験を話してくれた。非難や中傷はマイナスにしか働ないということだ。トップによる適材適所の運営が組織のキーポイントである。
人間は、感情の動物であることに違いはないが、好き嫌いで人を評価することで、良い結果がもたらされることはないと言える。また、人物評価を適正に数値化することはできないことだ。Nさんは「評価は自分がすることではなく、他人が評価することだ」と言ったが、まさしくその通りで、誰にでも人から良く評価してもらいたいとの欲求がある。そこに「忖度」が生まれるのではないかと思う。客観的な評価そのものが難しいことだ。私の教員生活で、一番怖いと思ってきたことは、生徒の評価である。生徒は、教員が思っている以上に適切な評価をしているものだ。
学校にも、伝統や風土がある。長い伝統を持つ高校や大学には、独特のカラーのようなものがあるものだ。身近な例として、静岡県東部の伝統校である韮山高校と沼津東高校では、伝統的風土がかなり違っているようだった。私はこの二つの学校には勤務しなかったので、直接的に知っているわけではないが、勤務した同僚から具体的な話しは聞いていた。一言でいうと、沼津東高校は、同窓生の上下関係が強く、政治的影響力も強いようだ。一方、韮山高校は、自由な校風が特徴と聞いている。共に多くの生徒が有名大学に進学している。
三人で話していると話しが尽きない。お互いに歩んできた道が異なる故に、学ぶことが多くある。このような人間関係を持てたことは喜びである。
駄句ながら、一句を詠む。
<人生の価値は人とのつながりに大事なことは信頼にあり>