私の人生も73年目を迎えている。その人生で、大切にしてきたことは何か。「自分らしく」生きるということに尽きると思っている。その根底にある価値観は、「人間らしさ」にある。「人間とは何か」、「私という存在とは何か」を考えてきた。つまり、それは私の人生のテーマと言えるだろう。聖哲の「心こそ大切なれ」の言葉こそが、私の価値観である。
心の捉え方は、実に奥が深く難しい問題ではあるが、あらゆる人の心の中に、「善性」と「悪性」が存在している。すなわち、人の幸福も不幸も「心のありよう」だと思っている。しかし、人の心は瞬間・瞬間に変化する。人は感情の動物であると言われるように、「喜怒哀楽」の感情が絶えず変化している。人の持つ最も特徴的な感情は、「好き」か「嫌い」かにあると思っている。一般的に言うならば、「群れ」を好む傾向が強い。人は、一人では生きていくことはできない「社会的動物」だからである。嫌いとの感情から、その群れ(集団)からの「排除」の論理が働いてくる。私自身は、子供の頃から群れることを嫌っていた。群れが共通の価値観を持つことで、集団が形成され、リーダーが出てくる。また、価値観の異なる集団との「争い」が生まれてくる。人は争いのない(平和)を求める反面、優越・支配・利権を求め、争う(戦争)ことを避けようとはしない。「自己利益」を優先する結果として起こる必然とも言える。
私の好きな英語の言葉を引用する。A man’s worth lies not in what he has, but in what he is. 現在は、People’s worth lies not in what they have ,but in what they are. になっているが。(人間の価値はその人の持っているものにあるのではなく、その人の存在にある。)
ここで考えるべきことは、この下線部の具体的な意味にある。その人のもっているものとは、「財産・地位・名誉」を意味する。その人の存在とは、「人間性・人格」を意味する。私の価値観は、後者にあり、「人間らしさ」に価値を置いている。
私は42年間、高校教育の世界にいたが、人間のための教育が行われてきたとは言えない。端的に言うならば、「受験のための教育」が主流であり、現在も変わってはいない。人を育てるという教育本来の目的を失っている。受験校といわれる学校では、「偏差値至上主義」と言っても過言ではない。生徒の親及び地域社会の認識も変わらない。「学校ブランド」が価値になっている。その結果、人間性を伴わないエリートが輩出されてきた。その象徴が、高級官僚であり、政治家である。庶民の心を知らない人間が、社会のリーダーになっている。
現代社会の価値観は、「結果至上主義」、「成果主義」「効率主義」にある。現代社会の病理は、このような価値観にあるとの認識が、私の考え方である。このような価値観の最大の問題点は何だろうか。この疑問を抱いている人はどのくらいいるのだろうか。目的が手段化しているのである。本来、目的を達成するための方法が手段であるはずだ。しかし、目的のためには、手段を選ばないとの価値観が生まれてくる。この価値観こそが、社会的病理と捉えるのが私の考え方である。この価値観は、まさに「自己中心主義」に根差しているものだ。
もう一つの視点から言うならば、「量と質」及び「結果とプロセス」の価値観にある。言うまでもなく、結果至上主義は、「結果と量」に価値を置いている。「資本主義」そのものと言える。資本主義は、「拝金主義」を生み出している。株式による「金融経済」と生活の「実体経済」に大きな乖離が生じている。今の日本は、典型的な「格差社会」になっている。「政治の劣化」が最大の要因だと考えている。経団連に所属する大企業を優遇し、99%とも言われる中小企業や生活困窮者を支援する政策が行われていない。アベノミクスの経済政策の失敗は明らかで、デフレからの脱却は成らず、経済格差がますます広がっている。
新型コロナウイルスの感染拡大により、人命及び経済に深刻さを増し、先行きが不透明で、国民に大きな不安を与えているのが、現在の社会状況である。トップのリーダーシップが求められるが、安倍総理にはとても期待ができない。国民の多くが、安倍総理を信頼できないと思っている。嘘と欺瞞の発言を繰り返し、反省や責任の意味すら知らない総理だ。要するに「人間性の欠如」としか言いようがない。安倍価値観では、日本は崩壊する。7年を越える安倍政権が証明していることだ。そのことをわれわれ国民が知らなければならない。一強多弱の安倍独裁政権を作ったのは、我々国民の責任でもある。未だに、内閣支持率が40%を超えているのは異常と思えてならない。
民主主義の根本は、「国民主権」にある。国家は、国民の生命と安全を守るためにあり、国民を支配するものではない。国家が国民を支配するのは、共産主義の共産党の独裁政権である。いかなる組織においても、「組織主義」は誤りである。一例をあげるならば、労働組織(連合)は、労働者のためにあるのが、大前提である。しかし、現実は組織を守るための組織になり、組織官僚を生み出している。更に言うならば、組織のトップリーダーのための組織に変質している。これを「組織悪」と言うのだ。彼らの根拠は、「多数」ということにあるのだろうが、果たして、多数は正義と言えるのだろうか。私が長い間抱いてきた疑問である。民主主義は、多数の意見による決定とされるが、絶対に忘れてはいけないことは、「少数意見の尊重」と言うことである。更に、決定に至るプロセスを可視化することだ。プロセスを記録に残すことは当然なことである。その記録を改ざんし、廃棄することはあり得ないことである。「森友問題」は、財務省エリート官僚が安倍政権に忖度したことに他ならない。国家公務員は、国民全体の奉仕者であって、政権への奉仕者ではない。このような構図は、大組織には必ずあることだ。究極的には、「人間の問題」に帰着するからである。トップの良し悪しで、その組織は決定されると言える。それ故に、トップの「人間性・人格」こそ、価値なのである。良きリーダーに恵まれた組織は幸いであるが、悪しきリーダーの組織は不幸である。
結論すると、どこの世界でも、「人による」ということになる。人間の価値は、人間性にあり、人格を磨くことにある。その根底は、「人としての情、思いやり」にあると思う。