久しぶりに、ドラマを観て感動し、考えさせられた。DVDレンタルでドラマを観るのは初めてのことだ。シャツ工房のU君が紹介してくれた。現在は廃版になっていて在庫がないとTSUTAYA長泉店で聞き、清水町店に行ってみた。そこで6枚のDVDをレンタルした。
メインキャストは、主演の大沢たかお(永井秀一)、酒井法子(倉本彩)に竹野内豊(永井拓巳)、細川直美(結城祥子)、西村知美(遠藤園子)である。 このドラマのテーマは「愛」と言える。愛の表現は様々であるが、男と女、夫婦、親と子、兄弟の感情は複雑なのかもしれない。ただ一つ言えることは、「自分の気持ちを正直に言葉で伝える」ことが大事だと改めて痛感した。言うのは簡単だが、実行することは難しい。
“It’s easy to say, but to do is difficult.”(言うは易く行うは難し)は至言である。
恋愛においては、相手を愛し、相手から愛される関係は理想と言えるが、一方通行の方が多いのが、実際の恋愛感情ではないだろうか。想う人には思われず、想う人には受け入れてもらえない。私は恋愛について語れるほどの経験はないが、人としてのあるべき姿、あって欲しいとの願いを信じたいと思うロマンチストかもしれない。
彩の秀一に対する一途な想いは美しいと感じる。耳が聞こえなく話すことができない障害を持つのが彩だ。手話と手帳に字を書いて自分の気持ちを伝えるのだが、なかなか理解してもらえない。障害のない人間には、その気持ちはわからないし、わかるはずがない。人はお互いに相手の心の中はわからない。推察することはできるが、わかることはない。いわゆる「忖度」である。相手の気持ちに立つか、自分の保身のためかで、忖度の是非となる。
秀一の育ての親であり、拓巳の実の父親の二人の子どもへの愛情の表現と受け止める子どもとの意思の乖離もリアルな問題だと思う。二人とも父親に反発し、兄弟の気持ちもすれ違っている。拓巳の父への反発と兄へのコンプレックスは根が深い。屈折した生活を送って来た拓巳が、心のきれいな彩に惹かれていく。その気持ちは真剣そのものと言える。思い通りになる女たちと違って、自分に振り向いてくれない彩を愛する中で、自身の心に変化が出てくる。秀一が記憶喪失の原因となる事故を起した祥子は、秀一を愛するようになる。秀一を愛する彩に嘘をつき、秀一から離し奪おうとする。ここに女の嫉妬の怖さと魔性を感じる。自分の気持ちを満たすための愛は、本物の愛とは言えない。単なるエゴに過ぎない。愛というオブラートに包まれているだけではないか。この愛は私には理解できない。彩は、秀一が生活した北海道美幌町の診療所で看護師として、秀一をサポートした時から、秀一を愛する気持ちに変わらない。その秀一が、東京の病院に行く時に、飛行機のタラップから、彩に「結婚してほしい。待っていてほしい」と手話でプロポーズする。笑顔でうなづく彩の涙の眼が印象的なシーンである。
彩は、秀一を」待つが戻ってこない。事故にあったことを知り、東京へと秀一を探しに行く。ICUに入っている秀一を見つける。その病院で働きながら、秀一の回復を祈る姿がいじらしい。記憶喪失になった秀一は、彩のことがわからない。彩はその状態の秀一を献身的に世話をする。秀一の記憶が戻って自分のことに気が付いてくれるのをじっと待っている。じっと待つという愛は、現代ではあり得ないことだろう。私が昭和の香りがすると感じる所以だ。翔子の愛は能動的であり、独占欲に駆られていると言える。ライバルを蹴落としても、自分の望むものを手に入れたい。そのためには嘘を平気でつく。このような心は誰にでもあるが、男と女では本質的に違う。男は、地位のために同じことを行うと言える。ライバルを蹴落とす心は全く変わらない。得たい物が違うだけである。ここに人間の動物的な本能があるということだろう。私の中にも存在する心でもある。しかし、この「心のありようのコントロール」が人としての生き方を決定すると私は思っている。私は「人としての生き方」をテーマに生きてきた人間であるが、命ある限り追求していくテーマだと考えている。
昨夜妻に言われた言葉が私の心に刺さっている。親と子の関わり、ジジと孫の関わりだ。言葉と態度で表さなければ伝わらないということだ。私は子どもの扱い方を知らない。子どもは苦手との意識は昔からで今でも変わらない。愛する気持ちに変わりはないのだが。私は、生き方も、子どもへの接し方も不器用だ。不器用が故に、自分生き方を貫くことができたとも言えるが、子どもたちには反省の気持ちは十分ある。子どもたちの生育過程で、父親として厳しかったとの思いだ。
このドラマの親子の関係にも表れているが、肉親の愛情表現はとても難しい。怖いのは誤解であり、思いのすれ違いとも言える。夫婦の関係にも同じことが言える。些細なことで行き違いが起きることがある。以心伝心は死語になっている。思いは、口で言葉で伝えなければならないし、行動で示さなければ分からないということだ。「愛情」・「信頼」・「感謝」こそ大事であるが、相手に言葉で伝えなければ、充分には伝わらないということだ。夫婦は、長い間連れ添っていれば、言葉はなくてもわかり合えるが、やはり言葉は必要だ。親子は更に言葉が大事だと言える。孫には甘いくらいがいいのだろうと思ってはいるのだが。
自分という存在を改めて考えさせてくれたドラマだった。ドラマを観ての率直な感想を書いた。男の持つ地位や名誉欲についても触れたい思いはあるが、機会をあらためたい。
最後にこのドラマを観て、思いついた俳句を記すことに。
「春の星昭和の香るドラマ観る」
「春の月一途な想い強かりし」
「春の夜(よ)に満天の星に想いを」