「女たちのアンダーグラウンド」の著者は、山崎洋子さん。山崎さんと私は、高校の同期生になる。昭和38(1963)年に創立した神奈川県立新城高校の1期生になる。高校時代の交流は全くないが、新設の学校への記憶は共有している。1クラス61人の8クラスの学年編成だった。私たちは、戦後生まれのいわゆる団塊世代のトップランナーということになるが、高校生活の過ごし方は全く違っていると言えるだろう。彼女は、港・横浜そして欧米に「憧れ」を抱いていたことがこの書でわかる。その憧れが「戦後横浜の光と闇」を描く書につながることは興味深い。戦後、日本人女性とGI(米兵)の間に生まれた混血の子どもたちを通じて、横浜の闇の世界へと踏み込んでいる。私の知らない横浜の負の歴史を知る機会になった。
私は、野球少年だった頃、長嶋茂雄や王貞治に憧れた記憶はあるが、それ以降は「憧れ」のような気持ちはなかった。自立心を抱いてからの私の関心は、「自分の生き方」を見つけることだった。そのためには、受験競争を勝ち抜かなければならなかった。私の高校生活は、大学受験のための生活と言っても過言ではない。私には、4年間の大学生活という時間がほしかった。経済的な理由から、国・公立大学に進学するしか選択肢がなかった。4年間の大学生活の中で、教員の道を選択することになった。それは積極的な選択ではなく、消去法による選択だった。それは自身の適性に対する判断の結果としての選択を意味する。私は川崎の田舎から、横浜の中心部を通過して、横浜のはずれにある大学に通った。伊勢佐木町の有隣堂には何度も行ったことを記憶している。港・横浜のシンボルとも言える山下公園、港の見える丘公園、山手の外人墓地、元町、中華街の一帯が私の知る横浜であり、まさに「ブルーライトヨコハマ」の光の部分とも言える。現在の観光の中心部は、「みなとみらい」に移っている。今年の5月に初めて、そのシンボル的なホテルに宿泊した。50年の時の変化を感じている。
私が山崎さんを知ったのは、高校の恩師である岩井先生を通じてのことだ。高校2年生の時に、新城高校に赴任し、山崎さんのクラスの担任だったそうだ。私は、選択英語の授業で岩井先生に教えていただいた。先生との手紙のやり取りの中で、作家になった山崎さんのことを知ることになった。2014年・8月にブログを書くようになり、アメブロがFBとリンクしていたので、FBで山崎さんとつながるようになった。2015年の5月に、母校の同窓会総会で講演する聞き、母校へ出向いて山崎さんと初めてお会いした。不思議なことに、初対面との感じはしなかった。山崎さんの自分史エッセイ「誰にでも、言えなかったことがある」も読ませていただいた。
山崎さんは、38歳の時に、「花園の迷宮」で江戸川乱歩賞を受賞して作家デビューをした。しかし、この時点では、横浜の歴史の闇については知らなかったと書いている。作家になってから、横浜への憧れが歴史的関心へと導いたことになる。その結果として、GIベイビーと呼ばれた子どもたちに対して心を寄せることになったのだろう。「戦争にまつわる歴史を知ることは、自分の内に潜む身勝手で冷酷な「鬼」を意識することでもあると、私は思っている。」と書いている。人間の心の中にある差別意識こそが、「悪魔」だと私も思っている。人間の心には、「善性」と「悪性」が潜んでいる。言い換えると、「強い心」と「弱い心」が同時に具わっている。主体である人間が、客体である環境との縁によって生じるのが、「縁起」ということになる。究極的には、「内なる自身との戦い」が生きるということだと、私は考えている。
この書を読みながら、改めて戦後の日本を振り返っている。山崎さんは「欧米に追い付け追い越せで高度経済成長を果たしたのはいい、その分、日本人は隣国との歴史や人々に対して、鈍感になっていたのかもしれない。傲慢になっていたと思う。そのことを認識し、互いの気質や文化を理解する努力をしない限り、関係性は良くならないだろう。」と書いている。現在の日本国内及び日本を取り巻く状況は厳しさを増していると思わざるを得ない。「経済格差」が拡大し、国家主義的な与党政権になっていることを危惧している。「臭い物に蓋をする」というように、不都合な真実を隠蔽することは、個人、組織、行政、政治に共通する人間の問題ではないだろうか。真実の理解なくして、真の相互理解ができるとはとても思えない。人間は環境の動物であり、感情の動物でもある。この感情のコントロールこそが最も難しい問題と言える。山崎さんは、エピローグで、「他者を理解するのは難しい。異質な生い立ち、性癖、文化、文明を受け入れるのも簡単ではない。しかし、日本はいま、労働力として外国人をさらに受け入れつつある。この狭い島国に、これからはと様々な人種が溢れる。いや、すでに溢れている。」と書いている。私の住む裾野では、その実感には乏しいが、ここにも都市部と地方の差があることは確かだ。人権に関して、「昔より人権意識は高まっているはずだけれども人間の感情は一筋縄ではいかない。心身障害者、高齢者、こども、女性、外国人移住者などの弱者に対して、社会は確実にやさしくなっただろうか。人権意識に反比例するかのように、弱者への対応が、じわじわと冷たくなっているように私は感じる。」と。私も全く同じ思いを抱いている。真実の歴史に目を背けてはいけないと日々感じている私でもある。「忘れてはいけないこと」は、次の世代のためにも語り続けなければならないのではないか。再び戦争の悲惨さを味わうようなことがあってはならない。
