令和元年5月1日に、「井上靖文学館」へ行く。私の記憶では2回目だと思う。職員の方に、「令和一号」の入館者だと言われた。とても丁寧に説明していただいた。鑑真(688-763年、奈良時代の帰化僧、日本律宗の開祖、揚州の生まれ)ゆかりの中国揚州の市花。瓊花(ケイカ)が咲いているのを教えてもらった。ガクアジサイだと思って写真に撮っていた。鑑真遷化1250年を記念し、2013(平成25)年に植樹したことを。甘い香りが漂うそうだ。日本では珍しく、唐招提寺に植樹されていると。
井上靖の本を読んだことはあるとの記憶はあるが、全く忘れている。現在の沼津東高校の前身の旧制沼津中学のOBである。沼津東高校は、静岡県東部のトップ進学校として知られている。OBの文学有名人は、芹沢光治良(1896-1993)、井上靖(1907-1991)、大岡信(1931-2017)がいる。文化勲章を受章している人たちだ。
芹沢光治良は、晩年「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」と言った。大岡信「私の万葉集二」を買った。改元に伴い、にわかブームに乗った一人が私だ。「令和」出典となった巻五「梅花の宴」の歌に、「初春の令月にして、気淑く風和ぐ」がある。巻五に「梅の花 今盛りなり 百鳥(ももとり)の 声の恋しき 春来るらし」の歌がある。私にも情景と恋の想いが伝わってくる。情景そのものだけを俳句にして詠むのが私だ。
大岡信さんのエピソードを紹介する。妻から聞いた話しだが。大岡さんの妻の妹の美智さん(死去)を知っている。「本ばかり読んでいる『変人』だ」と評した。
井上靖は、3歳から13歳まで、天城湯が島で、義理の祖母と暮らした。そのことを書いたのが「しろばんば」だと。白い虫のことで、ばんばは、ばばーの方言。旧制沼津中学に通った頃は、三嶋大社の前の店に住んでいたと。ともかく友達とよく遊んでいて、勉強をしなかったそうだ。旧制四高(現金沢大学)から京都帝国大学文学部哲学科に進学したが、現役で受かることなかったと聞いた。
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沼津東高校について触れて置く。静岡県東部の拠点校で、静岡高校、浜松北高校と並び、静岡「御三家」と言われる伝統的進学高校だ。東部には、同じく伝統的な進学校に韮山高校がある。校風は全く異なっている。自由な校風は韮山高校であるが、蛮からな校風を受け継いでいるのが沼津東高校だ。上下関係が、実に厳しい。まるで軍隊を連想させる。最近のことは知らないが、私が出張で行った時の印象が強く残っている。放課後の下校時に、2階の上から応援団の生徒たちが、下級生のことを大きな声で叱りつけていた。着帽(今時かぶりはしない)のことを注意していたのだが、その偉そうな物言いに「何だ、こいつらは」と私は心の中で思ったことが、一度ではない。教員の言うことは聞かなくても、上級生には逆らえない伝統がある。教員がそのような態度の生徒に注意できないのが事実だ。私なら黙ってはいないが。次のようなエピソードを聞いたことがある。御殿場や裾野の優秀な生徒は、御殿場線に乗って、下土狩駅(旧三島)で下車し、専用駐輪場に置いてある自転車で通学している。その駐輪場はOBが寄付した場所だ。電車の中では、1年生は正座して、2年生は立っていて、3年生は座っている。この上下関係が一番厳しいのが、通称「山線」と言われる電車で下ってくる生徒たちだ。彼らは、沼津東の中でも上位の成績を取っている。地元沼津の生徒よりも成績上位の生徒が普通だった。沼津で、東高に次二番手の生徒は御殿場南高校へと行っていた。現在は状況が変わっているが。山方面から上位の生徒が沼津東に通う状況は変わってはいない。私が退職してからのことは、情報が入ってくることはないので、現在のことはわからない。
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井上靖の展示から書き留めた。「一日の終わりに、夕暮れがやって来るように、-と。そんな思いが俺を捉えた落日の残照で真赤に燃えた土塀の集落を通過した時だった。一日の終わりに夕暮れがやって来るように俺の生涯にもいま夕暮れが来ようとしている。(残照)
「仲の良い友達と毎日のように遊び惚けたその昔の香貫山、我入道海岸、そして下宿生の近くの港町。夏には夏草が生い茂り、冬の海には白い波ばしらが立っていた
「思うとち 遊び惚けぬ そのかみの 香貫 我入道 みなとまち 夏は夏草 冬は冬波」(夏草冬波)
「地球上で一番清らかな広場 北に向かってくるりすると、遠くに富士が見える。回れ右すると天城が見える。富士は父、天城は母。父と母が見えている校庭でボールを投げる。誰よりも高く、美しく、真直ぐに天まで届けとボールを投げる。(わが母の記)
「自分に克って机に向かうんだな入学試験ばかりではない。人間は一生そうでなければならない」(あすなろ物語)
井上靖文学館を訪れ、学芸員の説明を受けた。メモ帳に、上記の言葉を写した。京都帝国大(25ー29歳)卒業後、大阪毎日新聞社に入社した。新聞社で「偉くなろうとは思わなかった」と語っていた。ビデオで印象に残る言葉が二つある。「生きがい」を求めて、小説は「書きたい」からだとの言葉だ。人は「生きがい」を求めて流浪する。それは、自分がやりたいと思うことの中にこそ、「生きがい」があると私は思っている。やりたいことは努力できるのが人だと。文学館を訪れての収穫として、井上靖の作品を読みたくなっている私がいる。