私の好きな英文:In life, you experience both joy and sorrow.
(人生では、喜びも悲しみも経験する)
experience(経験・体験)・experiment(実験)・expert(専門家)の語源は、
ラテン語で「試みること、経験のある」との意味で、同一の語源である。
「経験・体験」しなければ、何事もわからない。そのためには、「試みる」ことしかない。「試み」て、初めて「経験」になる。「試行錯誤」の連続とも言える。失敗しなければ、成功はない。喜びも悲しみを経験しなければ、わからない。数多く失敗を繰り返すことで、やっと、成功する。実際は、相当の努力が必要となる。その成功は、次の成功への「過程」である。結果は一つの区切りであり、始まりでもある。最近は、使われている言葉かどうかわからないが、以前は、結婚はゴールインとよく言われていた。実際は、二人の新たなスタートなのだ。ゴールは結果であり、始まりである。人生は、一つ一つの結果の連続であり、人は経験から学ぶことによって成長する。その人生の「経験」の深さによって、「人間力」の差が出てくると、私は思っている、蛇足乍ら、「実ほど頭の下がる稲穂かな」との言葉のように、それは、人柄や態度の「謙虚さ」に表れてくるものだ。「人間性」「人格」こそ、「人間の価値」である。
世間一般では、結果が重視され、それにより評価がされる。結果や成果は、数値化される。数値化されると、わかりやすい故に、「結果至上主義」の考え方が生まれてくる。教育の世界でも、結果至上主義の傾向が強まっている。本来、教育は、数値化をすることはできない。それ故に、試験によって、数値化し、生徒を評価する。その典型例が、受験である。受験の結果は、個人だけではなく、学校の成果にもなり、社会からの学校評価となる。いつの社会でも、受験競争は無くなることはない。教育は、受験によって歪められていることに気づいている人や教員はどのくらいいるだろうか。世間一般では、勉強ができると頭がいいとされているが、私はそうは思ってはいない。記憶力だけが、頭の良さではない。
昨日のテレビ番組で、公立学校の「定期テストの廃止」を決断した工藤校長の話しが取り上げられていた。「目的思考で学びが変わる」今、アマゾン検索して、本を注文したところだ。工藤校長の話しは、理解できるだけでなく、私と同じ視点に立っていることを知った。目的論だ。一つの手段を廃止する決断をした工藤校長に共感を覚える。
教育の「目的」は何か。「人を育てる」ことである。人が「生きていく力」を身につけさせることにある。「物事を自分で考え、判断し、行動する力」が求められる時代に変化したとも言えるが、教育の本来の目的に立ち返るとも言える。日本の教育は、実学が重視されてきた。AI(人工知能)が組み込まれる時代へと大きく変化した。「人間とは何か」が追求される。その根本は、「教育」にあるというのが私の認識だ。教育の理念に「人間主義」の哲学が求められていると私は考える。
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昨日、誕生日を迎えた小泉進次郎議員(38)のブログを読んだ。コピーして印刷した。福島県立ふたば未来学園中学校開校式・入学式で、祝辞の挨拶をしたと。設立時より応援しているとのことだ。建学の精神、「変革者たれ」、自立、協働、創造を体現している取り組みに共感している。ブログで目についた言葉がある。「政治には無関心でいられても、政治に無関係ではいられない」。国民の暮らしには、法律や様々なルールがあり、そのルールに従って、日々暮らし、仕事をしています。その法律やルールは国民から選ばれた政治家が議論し、内容を決めていきますので、政治家を選ぶということは、皆さんの日々の暮らしに大きく影響します。つまり、無関心でいられても無関係ではいられないわけです。(引用)
全くないその通りだと思う。入学式の祝辞の最後の部分を紹介する。
最後になりますけれども、私が中学校の時に父親から言われた言葉を一言だけ紹介します。
こう言われました。「日本にいたら日本のことはわからないぞ」当時意味が分かりませんでした。だけど大人になるにつれてその言葉の意味を考えた。そして私も外国に行き、皆さんの先輩のふたば未来学園の高校生が行った、ニューヨークのコロンビア大学の大学院に私は留学をして、結果、アメリカで3年間生活をすることになりましたが、そこで分かったのは、外からしか分からないことがあるということでした。そして、海外の経験をするということは外国人になる経験をするということです。自分が外国人としてマイノリティの立場になって初めてわかること、多様性とは何か、そういったことを肌身に痛感することが出来て、これが「日本にいたら日本のことはわからない」という意味なのかと思いました。
どうか皆さん、人口が減って若い人が減って、福島にずっと皆さん居て欲しいという大人もいっぱいいるでしょう。だけど、どうか福島に留まらず、好きなところに羽ばたいてください。そんな皆さんの未来を心から楽しみにしながら、これからもまたふたば未来学園に遊びに来たいと思います。
体験して初めて実感としてわかる。このことが、最も大切なことだと思っている。人は、体験してこそ、人の気持ちが理解でき、思いやることができる。体験しない限り、わかることはない。「苦しみの先に、喜びがある」その苦しみを乗り越えなければならないことが壁だ。その壁を乗り越えて、喜びがあり、一段と成長する。また壁にあたる。この連続が生きると言うことではないかと、痛感している。これが私の「経験主義」であり、「人間主義」なのだ。
具体例として、もう一つ、イチロー引退会見インタビューの最後の質疑応答の部分を紹介しておく。
──昨年、マリナーズに戻りましたけれども、その前のマリナーズ時代、「孤独を感じながらプレーをしている」と話していました。その孤独感はずっと感じながらプレーしていたんでしょうか。それとも、前の孤独感とは違ったものがあったのでしょうか。
現在はそれはまったくないです。今日の段階でまったくないです。 それとは少し違うかもしれないですけど、「アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと、アメリカでは僕は外国人ですから。このことは、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。孤独を感じて苦しんだこと、多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいというのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気のある時にそれに立ち向かっていく。そのことはすごく人として重要なことではないかと感じています。」
イチローは、私の長男と同じ年の45歳です。さすが、イチロー選手らしい個性の強い人間が表れたインタビューだった。彼には、目標を達成した結果は、重要ではない、更に次の目標へのスタートだった。私は、一人の人間として、彼をリスペクトしている。これからのイチローを楽しみにしている。人の心は、死を迎えるまで、終わることはない。これほど成功したという達成感を誇る人間は、立派な人とは言えないと私は思っている。人間は、向上心と挑戦することを忘れてはならない。その過程での経験が、人間性を豊かにする。それこそが「人間力」であり、「人間主義」なのだ。全く未熟な人間の私だが、命ある限り、「経験主義」の視点を貫きたいと思っている。