今日は、全く思いがけない電話があった。「下田のT・Tです。相川先生ですか」と。声だけではわからなかったが、名前はすぐにわかった。

私が下田に赴任した昭和45(1970)年に、担任として受け持ち、初めての卒業生の生徒からの電話だった。とても懐かしい思い出のある生徒たちの一人であった。彼らは生徒でもあるが、社会人でもあり、定時制で学んでいた。私は大学卒業したばかりの新米の教員として、彼らと出会った。私が22歳で、彼らが16歳だった。2年生から卒業までの3年間、「本音」で正直に「自分らしく」話しをしてきた生徒たちだ。彼らが卒業した時の「喜ぶ姿」は忘れることはできない。それから50年近くの歳月が流れた。その頃の顔は浮かんでくるが、お互いに現在の顔は想像がつかない。Tも65歳になり、来年退職を迎えるとのことだ。まさに、「光陰矢の如し」だ。Tに話したが、およそ30年前に電話で話しをしたことを今でも記憶している。初めての同窓会が下田で行われ、私も出ることになっていたが、その前日に事故を起してしまい行けなくなった。申し訳ない気持ちで、宿へと電話をかけた。何人と話したかは記憶してはいないが、Tと話した時の声を記憶している。それから30年を過ぎると、声の記憶は必ずしも一致はしないが、口調は変わらないものだと感じた。同級生の名前を何人も聞いたが、すべて記憶している。悲しく残念なことは、数人が亡くなっていることだ。T江からの年賀状で、YやSのことを知ってはいたが。同級生が亡くなることは、とても寂しい気持ちになる。

彼には、私と同じ年のS先生が亡くなったことを伝えた。およそ20年前のことで、亡くなってからしばらくたってから知ったのだが。47年度末に、

S君と冬の京都・金沢に行ったことが思い出になっている。

 先ほど、ラインでTからメッセージが入った。「今日は、ありがとうございます。近いうちに、会い行きます」と。懐かしい生徒との再会を楽しみにしている。