トップの腐敗が表面化している。組織のトップは権力を握っている。トップが独裁化すると腐敗するのが原理と言える。ジョン・アクトンの有名な格言に、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」とある。学生時代に学び、忘れることができない言葉だ。組織の理念となる目的の実現を目指すのがトップの責任であると、私は考えてきた。私の反権力志向は現在も変わってはいない。権力追従を嫌う人間であるが故に。上昇志向の人には理解できないことだ。一般的には、地位や役職が上がることを偉くなると言われるが、この言葉の使い方は間違っていると思っている。人間性の豊かな人が偉いのである。そのような人物がトップに立つことが理想であり、組織のトップには「人間性」が常に求められているのだ。人間としての「公正」と「誠実」がリーダーの要件である。手段を目的化し、トップリーダーが謙虚さを失い、権力に驕りが生じ、独裁化すると腐敗する。歴史が証明していることだ。
「森友・加計問題」の元凶も安倍総理にある。根拠は安倍総理の存在なくしてこの問題は生じなかったし、総理の不誠実な対応である。国民の理解は得られていない。
日大・アメフト部のタックル問題の元凶も田中理事長だ。ボクシング連盟問題も山根会長にある。東京医科大学の不正入試問題も前理事長と前学長にある。トップを支える執行部の責任でもある。被害者は、アスリートであり、学生なのだ。未だに女子学生差別の入試実態が変わっていないとは驚きだ。私が在職中の過去において、所謂トップ校では、女子生徒のに入学制限が慣習的に行われていたことは事実である。現在の静岡県では、県立女子高も無くなっている。女子生徒の成績が男子生徒よりも高いことは変わってはいないが。
国会の法案決定は、国民の生活に直結する。民意のない法案の強行採決など、自民一強政治の弊害に怒りと恐ろしさを感じている。連立与党の自民党・公明党の体質も問題だ。安倍総理に意見を言える政治家がほとんどいないのが現実である。また、安倍政権下の行政トップ官僚の人間としての倫理意識レベルの低さにあきれている。官邸主導の官僚に成り下がっている。公僕としてのプライドを失ってほしくない。
教育及びスポーツの世界も問題が顕在化してきた。「信頼」なしには成り立たない世界である。勝利至上主義と経営至上主義が問題の根幹にあると考えている。本来の目的を見失っているトップ及び執行部の責任は重い。「人事」による排除や脅しが行われているのが組織の現実だ。私は上昇志向も持たなかったので、必要だと思う意見は公式の場で発言してきた。自身のスタンスを明確にすることを避ける傾向が、教員の世界にもあった。職員会議は、決定機関ではないために、採決されることはなかった。あくまでも審議する場であり、決定権は校長にあった。校長にしても、教育委員会及び文科省の指示に従わなければならなかった。この教育行政に絶対的な権力を持つ文科省のエリート官僚の不正が発覚している。実に残念な気持ちだ。組織は人により成り立つもので、トップの人間としての資質が問われているのだ。正直さ、優しさ、責任感、信念、庶民性を持つ豊かな「人間性」のリーダーが求められている。