平成23(2011)年3月の東北大震災の時は、長男の3階建ての家が新築中だった。翔は、亮一の子どもの頃の写真を見て、「俺だ」と言っていた。定時制の同僚の深山君が撮ってくれた白黒写真パネルが本棚に飾ってあるのを見た時の言葉だった。
隆雄は自身が子どもの頃を思い出している。終戦後の昭和22(1947)年に、疎開先の千葉県松戸市で生まれ、半年後に川崎市新城に住むようになったと、父親から聞いていた。小さな庭のある古い木造の家に住んでいた。近所に空き地もたくさんあった。神社の裏は野原になっていて、絶好の遊び場だった。道も車が走っていなかったので、メンコやカンケリをして遊んでいたことを記憶している。家の庭では、相撲を取ったりもしていた。初代若乃花のファンだった。車社会は想像もつかない時代であった。家から歩いて10分ぐらいで小学校に通えた。今の新城は昔の面影はなくなってしまったが、時代の変化は避けられない。車社会へ移行してからの変化は大きい。ブログの中で書いたが、生涯で最も大きな出来事は生母の死だった。その時を境に、隆雄は自立の道を歩き始めた。小学校5年生の時に、宿河原の市営住宅に転居した。卒業までの1年半は電車通学をしていた。朝の電車を降りて、新城駅の売店で、スポーツ新聞を買うような小学生だった。野球が好きで、憧れていたのは長嶋茂雄選手だった。王貞治選手にも同じような憧れを抱いていた。隆雄の憧れと言える人は、ONの二人だけかもしれない。二人が巨人に入団したために、巨人ファンになったとも言える。正直に言って、親会社の読売は好きではないが。子供の頃の楽しみは、相撲と野球だった。東映の時代劇もよく見に行った。娯楽と呼べるものは他にはなかった時代だった。隆雄にとって、スポーツは観戦するよりはプレイする方が好きだと言える。その傾向は、40代後半の頃のボウリングに表れていた。競技としてのボウリングを楽しんだ期間が15年程ある。
中学校は稲田中学に入ったので、小学校の同級生は一人もいなかった。1学期の間は、夕方新聞配達をしていた。部活動は野球部に入った。新聞配達のことは顧問の先生の許可は得ていた。どういうわけか3年生の先輩からいじめを受けた。夏休み中のことだった。風邪のために高熱を出して家で休んでいた時に、3年生の使いで同級生が私を呼びに来た。やむを得ずグランドへと行くと、真夏の炎天下を何周も走らされ、その後で、先輩のユニホームを洗わされた。あと半年の我慢ができずに野球部をやめた。その時の教訓として学んだことは、いじめは絶対に良くないことで、また、他人に強制することも良くないと言うことだ。自分がされて嫌なことは、他人にはしないと自身に言った。このことは、隆雄の生涯を通じて守ってきたことだ。教職についてからも、体罰や生徒への強制的指導はしてこなかった。規則だから守らせる生徒指導もしてこなかった。納得しなければやらないという自身の行動に、隆雄の自負心がある。 高校生活は、隆雄にとって良い思い出がある時間ではなかった。坂野と一緒に過ごした学校生活と修学旅行でのグループ行動の時以外に楽しい思い出はない。受験競争に勝ち抜いて、大学に入ることが最大の目標だった。家庭での学習は英語だけしかやらなかった。英語だけは同級生に負けたくはなかった。オンリーワンを目指した人生の芽が出たとも言える。ナンバーワンを目指す人生を考えたことは全くなかった。競争社会の中で、自分らしく正直に生きることが目標だった。そのために大学の4年間の時間が欲しかったのだ。隆雄のテーマは、自分の人生をいかに生きるかであり、そのために、消去方法で選んだ職業が教員だった。しかし、普通の教員にはなりたくなかった。教員よりも教師を目指したと言うほうが適切かもしれない。彼にとっては、教員と教師は違うとの認識をしている。教員は教科を教える人だと考えているに過ぎない。一人の人間として、生徒を惹きつけることができる人を教師と考えていた。上から目線で教える教員が実に多いのが現実だった。同じ人間として、同じ目線で物事を考えながら教え、指導できる人間教師でありたいと願ってきた。教育の教だけではなく、育を大切にしたいと願っていた。そのために必要なことは、生徒と同じ土俵に立つことができるかどうかだと考えてきた。一つの価値観で物事を考えないことに尽きるとの信念だった。一流大学、一流企業との価値観に対する違和感を持ち続けてきた。この価値観は一部のエリートのための教育に過ぎないし、いずれこの価値観の誤りに、社会が気づく時が来ると考えていた。生徒との対話を重視して、その生徒の特性を伸ばす手伝い、後押しするのが教師の仕事だと考えて、生徒に接してきたつもりでいる。2020年度から小学校に英語が教科として導入され、大学入試改革が行われることになっている。指導要領の変更と同時に大学入試改革は教育革命とも言える。知識偏重の教育から、アクティブ・ラーニングへと変わる。教える教員も経験したことのない
未知の世界への変化だ。AIが急速に進化し続ける時代に、人間とは何かが問われる時代になっていると、隆雄は考えている。