FBに投稿した言葉は、「人間の不幸は『錯覚』にある。自分を偉いと勘違いしている『錯覚の人』がトップにいるのが、現在の世界の悲劇だ」。
 錯覚とは、俗に「思い違い」と広辞苑には書いてある。人の幸福も不幸も思い違いによることが多いと感じている。恋愛感情はまさに錯覚で成り立っているとも言える。自分の都合の良い解釈で相手を理解して自己満足している。もう一歩深く相手の心を思いやる気持ち(愛情)が足りないと、結果は不幸な結末となる。欧米の離婚率が約5割で、日本が3割近くになっている。日本では、今後さらにこの割合が増える気がしている。「人間は感情の動物」であるが故の「錯覚」から様々な問題が生じているのが現実だ。
 政治の世界に目を向けると、「森友学園問題」に象徴されている。最も大事なことの「信頼」が土台から崩れている。与党の政治家も、野党の政治家も国民目線を見失っている。安倍1強政権の危うさが表面化してきた。懸念していたことが起きてきたのだから、驚きはないが、国民の不信感が増大していることは重大な問題だ。私はもともとエリート官僚を信用してはいない。彼らは世間一般で言う頭の良さはあるが、権力者に対して、自己保身のために忖度することしか頭にない。出世競争に明け暮れている。民間とまったく変わってはいない。大きな違いは、民間企業は「利益」が絶対的な命題であることだ。

 もともと、「忖度」は悪い意味ではない。「相手の気持ちを量る」のは当然なことである。自己利益のために忖度することが良くないことであって、公僕として、国民のために忖度することは良い事なのだ。紙一重の違いだが、大きな違いなのだ。公人は「何のために」との目的意識がなければならない。官僚も政治家も公のために、つまり、国民のために働く使命を担っている。その自覚がなければ、官僚も政治家も要らないと言うことになる。人は自己利益だけを考えて行動すると幸福にはなれない。自他の幸福のために働くことにこそ、生きがいがあるのではないか。その生きがいを感じる「自身の中に」こそ、幸福は存在すると、私は考えている。人の為に尽くすことの中に、本当の幸福感があることを知るべきではないかと、年齢を重ねることによって、そのことが分かってきている。私の持論で言うならば、恋愛にしても、自分よりもより相手のことを思いやることで、関係が持続していくものだど思っている。お互いに自分への思いの方が強ければ、亀裂が生じて、その亀裂が広がっていく。自己都合の感情を抑えられなくなるのが人間だ。

 人間と社会との関係に置き換えれば、感情は「信頼」との言葉に置き換えればいい。人はお互いの信頼感を失えば、人間関係は壊れ、仕事もうまくいかなくなる。政治の世界では、市民や国民からの負託を自ら望んでやっているのが政治家ではないのか。その政治家が自己ファーストのために、権力を増大させているのが、現在の世界状況だ。アメリカのトランプ、ロシアのプーチン、中国の習近平、日本の安倍総理がその典型例で、北朝鮮の金正恩との違いが私にはわからない。同じ穴のムジナに思えてならない。トップリーダーとして、最も大事なことを見失っている。これが現在の世界の悲劇だ。体制の維持と資本主義(金権主義)に毒されている。人種差別問題は根強く、貧困の格差は広がっている。いつ戦争が起きてもおかしくない状況にもなっている。戦争は人間が人間を破滅することだ。不信感からは善は生まれない。人は善の心を持たない限り、幸福の道は開けない。突き詰めると、人間の価値観の問題になってくるのだが。根本的には教育の果たす役割が大きいと私は考えている。その教育には哲学的な理念が求められる。教育は国家百年の大計だ。教育を行うのは人である。人を育てる教育に力を入れるべきではないか。錯覚からは本当の教育は生まれないことを心しなければならない。