隆雄にとっては、急転直下の展開になった。父親を連れて西山の家を訪れてからは、話しが結婚へと進んでしまった。

戸惑ったのは、隆雄と陽子である。隆雄は結婚の許可をもらいに来たわけではない。交際もしていない二人の結婚とは、

 

戦前に近い話しになってしまう。お見合いから結婚が普通の時代ではないし、親が娘の結婚相手を決める時代でもなかった。

昔気質の父親にとって、娘の結婚が大事であることは理解できるが、あまりにも性急すぎる。陽子の気持ちを考えてのことなのかと。

 

隆雄は、陽子と交際していく過程で結婚を考えたいと思っていた。いい加減な気持ちで交際するつもりはなかったが、

 

先のことはわからないと言うのが正直な気持ちだった。直感的にはこの女性なら結婚してもいいとの思いはあったが、

 

お互いに相手のことを何も知らない状態だった。隆雄にとって、結婚は、人生のパートナーと共に生涯歩いて行くことだ。

 

どんなことがあっても、同じ道を同じ方向へと歩いて行く。陽子がどう考えていたかはわからなかった。

彼の性格からは、将来の展望がなければ結婚は考えられなかった。過去の女性とも深い交際はしてこなかった。

 隆雄にとっての学生時代は、人生をどう生きるかが最大のテーマであった。その人生の中に結婚観があった。

 

家庭を守ってくれる女性が最大の条件と考えていた。学生時代に、アルバイト先で知り合った女性がいたが、深入りは避けてきた。

 

また交際に割く時間もお金もなかった。大学生活の中で、生涯の職業を決めることと、生涯の友を持つことが優先された。

友だちや先輩に恵まれた学生生活だったと、隆雄は今でも思っている。人間関係を重要視した結果が、教員の道を歩むことになった。

 

教科だけで言えば、社会科の教員に成りたかったが、英語と社会の両方の免許を取るには、少なくとも大学2年の初めの段階で、

 

決めてはいなければならなかった。彼が教員の選択肢を考えたのは、3年になる直前で、その時には、教員に成る意志は

 

決まっていなかった。教員になろうと決めたのは、3年の夏頃だったように記憶している。単位の関係及び採用試験のことを考えると、

 

英語の選択肢しかなかったというのが事実だ。だからと言って、採用試験のための所謂受験勉強はしないと決めていた。

 

過去の受験勉強での反省からの教訓であった。現実的には、実に無謀なことであった。英語の実力は、大学受験の時と比べて

 

上がっているわけではないことは承知していた。それでも採用試験の傾向と対策はやらなかった。もともと傾向と対策は得意だとも

 

言えるが、それを捨てて勝負することに決めていた。半ば教員採用の浪人覚悟であったが、滑り止めの会社は受けることにした。

 

運輸業の大手の関東支店に就職は内定していた。静岡県の高校採用が正式に決まった3月中頃に、会社からの研修参加の電話を

 

もらった時に、人事担当に丁重にお断りをした。「あなたの英語の成績で、どうして本社を受けなかったのですか」と面接担当者に

 

聞かれたことを記憶している。「静岡県の高校教員の採用が決まりました。その道に進みます」と丁寧にお断りした。

人事担当者がとても残念がっていた。この会社を滑り止めで受けたが、勤める意志はなかったのが正直な気持だった。

 隆雄の交際経験で、彼が一目ぼれしたのは、大学2年の時で、相手は高校2年生だった。家庭教師として夏休みに英語を教えた女子

 

だった。藤子さんという名前で、私立の女子高校に通っていた。母親から頼まれて、妹を4月から教えていた関係で、夏休みの期間だけ

 

との約束だった。そのお宅に初めてお邪魔した時に、玄関で顔を合わせたのが彼女だった。隆雄の学生時代で最も楽しい1か月だった。

その後、2回ほどデート(らしき)もした。11月の大学祭にも連れて行った。夏休みの終盤には、彼女の友達との長野旅行を、

隆雄の大学のゼミの合宿の場所(山田牧場)に変えさせたこともあった。彼女とその友達との約束で、11月の学園祭に出かけた。

それが最後となったのだ。女の子の心はわからなく、ずいぶん悩んだことを鮮明に記憶している。

彼女は父親が早く亡くし、母子家庭と言うことになる。聡明な彼女は、私の将来への気持ちを察していたようだ。

 

「相沢さんの考えていることはほとんどわかる」と言っていた。「先生になるのでしょ。先生は好きじゃないの」とも。

高校生の彼女には、精神的に負担が大きかったようだ。隆雄が知っているのはそこまでのことだった。

 隆雄は、女性との交際で結婚のことは常に頭の中にあった。人生のパートナーとして歩むことができる女性かどうかを考えていた。

 

陽子との交際も同じであった。陽子との交際期間は、1年半に及ぶが、遠距離のために、月に2回会うことはほとんどできなかった。

 

月に1回会うことが精一杯だった。隆雄が話し手で、陽子が聞き手になっていた。彼の物の見方や考え方などの価値観の話しを多くした。

 

その考え方を理解したうえで、同じ道を一緒に歩いてほしいと思っていた。彼女が将来へどのような希望を持っていたかは聞いたことが

 

ない。隆雄という人間そのものを受け入れられるかどうかを確認したかった。陽子は、優しく芯が強い女性だ。

隆雄にはない面を持ち合わせている。二人で手をつないで人生の道を歩むことができると確信できた時に、結婚しようと考えていた。

 

隆雄は、交際をしていく過程で、自分を支えて、生涯自分について来てくれる女性だと判断した。結婚して46年になるが、

 

その判断に間違いはなかったと、確信している。