2020年度から、小学校の英語が「教科」になる。現在の学習活動から教科へと変わる。2018年度から2年間は移行期間となるが、前倒しの時間が組まれることになる。市町によっての違いが出てくるが、裾野市では、年間15時間から35時間が予定されていると聞いた。
今日、裾野市生涯学習センター「学びの森」で、O所長とK指導主事と話しをする機会を設定してもらった。懇談を交えて2時間に話しが及び、情報を共有することになった。私はボランティアの立場であるが、小学校の英語の授業に対する関心が高い。昨年授業を見る機会を作っていただいたが、私の体調不良のために、キャンセルした経緯がある。中学校の授業は、通算4回授業を見て、3回の授業ではコメントもさせていただいた。中堅教員と若手教員の二人の授業だった。生徒の学習状況を主に見させていただいた。平成30年度は4校で各2回の公開授業がされると聞いた。その7回の授業を見せていただくことになった。私は高校の英語の授業の経験しかないが、何か少しでも役に立てればと思っている。
小学校の教員は実に難しい状況に置かれている。英語と道徳の教科化である。何の教科でも担任が教えなければならないし、空き時間がないという厳しい現実がある。遅くまで残って教材の勉強を余儀なくされている。残業はないことになっているのが教員という職業だ。勤務時間で仕事を終えることはできないのが教員の仕事だ。中学、高校へと上がるにつれて、専門性の要素が強くなるために、空き時間は増えてくるが、その空き時間は、教材の勉強よりも、様々な報告事項等をパソコンで処理しなければならない状況と聞いている。教員の働き方改革は進んではいないという事実がある。
英語には、指導助手としてALTが配置されているが、ALTの人数にも、予算的な制限があり、数は足りてはいない。小学校の教員が一人で英語の授業ができなければならなくなっている。一般論であるが、学生時代に英語が好きで、得意だった人が小学校の教員になっているわけではない。英語を教えることのできる教員はあまりいないと言っても過言ではない。人は必要性から学ぶもので、その必要性が、小学校の教員に出てきた。英語を教える教育を受けていない人たちが、子どもたちに教えなければならなくなったということだ。
小学校の英語教材を見て感じたことは、中学1年生の教科書よりもレベルが高いということだ。実際的な日常会話の表現が使われ、実戦的になっている。その理由は簡単なことだ。中学校の英語の教科書は文法が基本にあるために、学年での制約が大きい。小学校の英語教材はその文法的な制約がないので、実際の会話表現が使われ、日常的な単語が普通に使われている。ここでポイントになることは何か。従来の知識重視の考え方では成り立たないということだ。この意識を教員自身が変えることができるかどうかにかかっている。つまり「意識改革」が求められている。これは英語に限った話ではない。「アクティブ・ラーニング」の考え方は、従来の知識重視の教育から180度の転換になるからだ。「自分で考えて、発表できる力」を身につけることが求められている。親、保護者、社会の考え方も転換されなければならなくなっている。教育本来の「自立」が求められ、それに応じた教育がなされなければならない。またもう一つのキーワードになるのが「自律」である。それが道徳教育なのである。この認識を持っている人や教員がどのくらいいるのだろうか。私の持つ教育への不安がここにある。価値観そのものが転換なされなければならない状況に変化している。大学入試改革が同時に行われることは、高校の受験教育も変わることを意味している。従来の方法では、教育が成り立たないと言うことだ。「ゆとり教育」との詰め込み教育からの脱却に失敗した過去の経緯があるが、その教育とは、比べることができない程ハードルが高いとの認識があるかどうかに疑問を抱いている。暗記による記憶学習ではなく、自分で考え、その考えを表現できる教育への大転換である。英語にしても覚える学習ではなく、コミュニケーションが行える実践的学習が求められている。教育現場は混乱しているのが事実であろう。教員自身が体験していないことを教えなければならない。小学校の教員は英語を専門に学んできてはいないのが事実だ。教えながら学ぶ「共育」の時代へと転換している。「教育」から「共育」への転換との認識を持つべきだ。
2020年度の指導要領改訂と大学入試同時改革は、戦後最大の「教育改革」となるが、教育現場は、その対応についていけていない。
「教員改革」が求められている。