映画「北の桜守」をみた。吉永小百合(役:江蓮てつ)の主演映画だ。ラストシーンに感動した。
映画を見て感動したのはいつ以来か忘れている。戦争の悲惨さを改めて感じるとともに、心を風化させてはならないと。
戦争ほど、悲惨で残酷なものはない。不幸そのものだ。
昭和20(1945)年の終戦前からストーリーが展開される。樺太から内地の北海道へと逃げていく。
夫(徳次郎:安部寛)は戦地に赴く。生きて帰って会う約束をして、子供二人と北の大地へ。母を守るように長男は託される。
北へ向かう途中で船が大破する。長男と別れ別れになり、次男(修二郎:境雅人)と共に生き残り、網走へ。
その次男も10代でロスアンジェルスへ。彼は成功して、オーナーの娘(真理:篠原涼子)と結婚し社長として帰国する。
15年ぶりには母と再会する。
戦後の何も食べるものがない時代の貧しさと厳しさがわかる。お米が統制管理されていた時代は、闇米業者が暗躍した。
私の小さい頃のことを思い出した。埼玉の田舎にお米をもらいに、父親に連れて行かれた時に、大宮で警察の手入れがあった。
業者はコメを放り出して逃げていく。父は大宮警察に連れて行かれ、長い間聴取を受けていた。私は部屋の外で待たされていた。
そのことを思い出させるシーンがあった。
飢餓は人間の心を失わせる。生きるためには何でもありと言うことだ。食べなければ生きていけない。動物そのものだ。
戦後の日本は、何もない状態から作られていった。飽食の時代からは想像すらできない。
私は、70年生きてきたが、戦争のない平和な社会に生きられたことが信じられないほどだ。戦争は二度と起こしてはならない。
破壊は一瞬、建設は死闘だ。平和ほど尊いものはない。
てつのトラウマは、夫と長男だ。吉永小百合の演技が光る。私は「小百合スト」ではない。年齢を重ねてからの吉永小百合が好きだ。
北の大地に、満月の日に、大きな桜の木が満開に咲いている。てつは、修二郎に徳次郎の姿を見る。「お帰りなさい」
亡くなった長男が昔の姿のまま現れる。感動的な場面展開だ。てつの心の呪縛が解き放たれる。
現代は物に溢れ、便利になったが、幸福にはつながっていない。物の豊かさや、道具の便利さは、人間の心を蝕んでいると私は感じている。
デジタルな世界は、アナログの世界よりも人間力が落ちていると思えてならない。