相沢隆雄は雄大な富士山を仰ぎ見ていた。日本一の名山だ。残念ながら、一度も頂上へ登ったことがない。そのチャンスが全くなかったわ

 

けではない。登山経験のない隆雄には、登る自信はなかったのだ。8合目へ登る途中で諦めてしまい、8合目までも到達できなかった。山頂

 

から雲海を眺め、ご来光を仰ぐことを夢に見ていた。それは映像だけの世界であり、リアル感はない。退職してから7年目を迎える。長い間病

 

気と戦いながら、居場所を探していた。今では、ソニーの一眼レフデジタルカメラを持ち、富士山の写真を撮ることが楽しみとなっている。

 

1月中旬の冬一番の晴れた日曜日に、沼津から海岸沿いの県道を走り、駿河湾と富士山の絶景を堪能しながら、大瀬崎のスポットで写真を

 

撮り、戸田港へと向かった。以前と比べると、狭く未舗装の山道も広くなり、走りやすくなった。井田を経由して15分程で、西海岸からの駿河

 

湾が眺められる。西伊豆の海から眺める富士山も素晴らしい。「出逢い岬」展望台に車を止めた。そこからは、左手に戸田港を見下ろし、右

 

手には富士山を眺めることができる。戸田はタカアシガニで知られている。日本で一番足の長いカニである。30台前半の頃、戦後生まれで

 

作った吉原高校の若手教員グループで、幹事の知り合いの民宿に泊まり、麻雀をし、夕食にそのカニが食卓に並んだ。美味しかったので、

 

よく朝漁協で買い、お土産に買って来たことをよく覚えている。妻の陽子も「美味しい」と喜んで食べていた。その戸田港から、戸田峠を越え

 

て、達磨山レストハウスの展望台へと向かった。そこからの富士山の展望は実に素晴らしい。駿河湾の向こうには、愛鷹山があり、その後ろ

 

に富士山がそびえたっている。これほど美しい景色はない。写真を撮りながら、ゆったりと眺めていた。車を走らせてきた沼津港が見渡せる。

 

淡島も小さく見える。レストハウスに入り、コーヒーを飲みながら、しばらく眺めていた。至福の時を過ごした。3年前にカメラを持ち始めてか

 

ら、ずっとこの機会を待っていた。澄んだ空気と快晴に恵まれた最高の一日となった。隆雄の脳裏にはっきりと焼き付いている。

 隆雄が自然の豊かな、富士山の見える裾野市に住むようになってから35年が経つ。しかし、毎日見ることができるわけではない。顔を見

 

せてくれる時もあれば、見せてくれない時もある。日々刻々と変化している。人生もなにげなく過ごしていると、日々の変化になかなか気づか

 

ない。人間は自然の一部であると感じている。古稀を越えて初めて感じられるようになったと言える。昔から人々の富士山への信仰は根強

 

い。その心を理解できるようになっている。健康のために、散歩をするようになって初めて感じていることだ。近所の散歩にも発見があるもの

 

だ。見慣れている景色だが、歩いていると自然を感じる。自然が織り成す変化を肌で感じる。人間は自然の中に生きてこそ、人としての心を

 

持ち続けることができるのではないだろうか。