前略

 創立50周年記念誌を送ったいただきありがとうございます。本当にご苦労さまでした。ありがとうございます。貴君のような人がいたからこそ、記念誌が発刊できたのだと思っています。1期生の進学記録も残っていないことを知りました。名簿もない中での地道な努力に敬意を表します。ご苦労さまでした。

 記念誌を見て、懐かしい過去の思い出が蘇ってきています。私の高校時代は受験戦争に勝ち抜くことだけを考えていた時期です。1期生としての想いは強く残っています。私にとって、唯一の楽しい思い出は修学旅行のことです。東京オリンピックの最終日に、西鹿児島駅の待合室の中にあったテレビで見た裸足のアベベ選手の走っている姿は脳裏から消えることはありません。寝台列車で九州への修学旅行での宿で、5人の1グループの同級生とトランプをしたことが忘れられない思い出です。二人の女子生徒は初対面でした。その一人がS・Kさんです。旅行の終る頃に仲良くなりました。今の時代ならば、交際していたかもしれません。(心の中では、交際したいと思いました)私は修学旅行を最後に受験体制に入ったのです。先輩のデータがない私たちには、進学の物差しがなかったのです。焦りがあったのです。高校の英語では、S君(福島大学)とトップ争いをしていましたが、新設高校のレベルではたかが知れています。新潟大学に入ったK君は、文武両道との印象を持っておりますが、私は、部活動(野球同好会に所属)は諦めました。Y君たちが硬式野球部を創設しました。このことには忸怩たるものがありましたが、受験との両立は、私にはできませんでした。教員になってからも、受験勉強と部活動の両立はどんなに大変かを見てきました。「言うは易く、行うは難し」です。単なる精神論では片付きません。そのことを理解して生徒には接してきたと思っています。教員の世界の裏側を知っている私です。生徒の前で、きれいごとを言う教員に限って信用はできません。実際は、教員の世界だけではありませんね。私の自他の評価基準は「言行一致」にあります。これは人間の原理でもあります。私は大学生活の中で、自分の人生の方向を決めたかったのです。そのための4年間という時間が欲しかったのです。家の経済状態から、国公立大学に入るしか選択肢がなかったのです。出願書では50倍を超える史上最高の倍率でした。実質倍率はもちろん違っていましたが。高校3年生の生活は、自分との戦いでした。悩みもがきながら受験勉強をしていました。教員になってから、受験に対する考え方がまちがっていたことに気づいたのです。しかし、その経験は十分に活かされました。基礎・基本がしっかりできれば問題ないのです。ふるい落とすための問題はできなくてもいいのです。ほんの一部の大学を除いてのことです。このことに気づいたのは教員に成ってからです。意外なことに、多くの教員はそのことが分かってはいないのが事実です。偏差値教育はばかげています。2020年度から高校の教育課程と大学受験が同時に変わります。このことの必然性に関して、私はずっと言い続けてきました。知識偏重の暗記学習には意味がないということを。「アクティブラーニング」(AL)は当たり前の考え方です。高校も大学もお互いに責任転嫁してきたのです。もちろん現実的に乗り越えなければならない課題は残っています。私は「考え方」を言っているのです。定年前の進学校で、生徒に「お前たちに受験のために、英語を教えるつもりはないからな。だが、入試の内容は視野に入っているから心配しなくてもいい」と言い、基礎基本が大事であり、私の教え方(本来的には普通のことです)で教えてきました。生徒はその私を信頼してくれました。体調が万全ではない状態で、教師としての「醍醐味」を味わうことができ、教員が「天職」と感じることが出来たのです。生徒たちに心から感謝しています。今日の私のブログに、私の英語の教え方の一端が書いてあります。「自分で考えて自分で判断して生きる力」を身につけるのが「学び」だと考えています。本来の教育の視点でもあります。私の教育論は尽きませんので、この辺りにしておきます。

 貴君とはFBでつながっていましたが、やっと電話で話すことができて喜んでいます。今度は、会って話しをしたいし、その日を楽しみにしています。

 

                                                                                  草々