言葉とは何と大切なものだろうか。言葉を通して、書き手の心が伝わってくる。考え方よりも、「心」の方がより大切だと私は考えている。言葉に込めた「心」を感じ取ることができるかどうかに尽きるのではないだろうか。言葉は、コミュニケーションの手段であり、目的は「心」の伝達ではないだろうか。「心」に触れる言葉にこそ、価値があると考えている。 最近フェイスブックに投稿した3句を記しておく。それらは、五・七・五の形式を取っただけのものだ。駄句かもしれないが、私の「心」を伝えているものだ。
「晴ればれと 春の訪れ 心待ち」
「燦々と 光輝く 我が心」
「善き友を 持てる喜び 今にあり」
私は韻文が苦手との意識が強かった人間だ。詩を読めることはないが、詩を書いてみたいなとは思っている。私は「人間好き」だ。I love human beings. 私の若い頃からのテーマは「人生」である。やっとたどり着いたのが「人間学」である。「生と死」に向き合うのが人間学の本質ではないか。つまり、生命哲学である。「生老病死」は誰にも避けることはできない。
昨日の朝、「人間学」について先輩の友人と話しをした。結論は一致した。言葉の話しの中で、日本語と英語の表現の違いについて、先輩に話しをした。「鏡の法則」になるが、人を励ますことは、自分が励まされることになる。「励ます」を英語で言うならば、encourage となる。courage は「勇気」である。en は接頭語で、与えるの意味である。また、動詞化する。激励とは勇気を与えることだ。その激励は、接尾語のment をつければいいだけだ。つまり、encouragement となる。これが英語の一つの法則なのだ。類例をあげる。私の好きな単語のjoy は「喜び、楽しみ」である。接頭語en をつければ、enjoy (楽しむ)になり、ment をつければ、enjoyment (楽しむこと)になる。単語は、接頭語や接尾語で語彙が広がっていく。更に大事なことは、語源を知ることだ。英語の語源に言葉の意味の本質がある。「触発」との日本語があるが、それに対応する英語はない。直訳してみて、面白いことがわかった。touch and spark となるが、英語では、この組み合わせの表現の言葉はない。おそらく通じるとは思うが。spark を英和辞典で引くと面白い。「火花、閃光、(電機などの)スパーク」である。そこで止まってはいけない。「生気、活気、(才気などの)ひらめき」とある。更に動詞へと進んでみると、「(人・関心・活動など)を刺激する、活気づける」とある。同じ語源に、sparkle がある。「輝き・きらめき;輝く・きらめく」の意味がわかる。もう一例をあげると、「興味・関心」はinterest である。この派生語が、interesting とinterested だ。-ing の基本的な意味は「進行形」にある。-ed は「受動つまり受身」の意味となる。これが英語の法則である。「興味を起こさせている」から「おもしろい」の意味になる。「興味を起こされた」から「興味(関心)がある」ということだ。日本語と英語を比べて見ると、言葉は面白いと、言葉そのものを大切にしたいものだ。