昨日は一日中朝から話していた。私の心の喜びがなせることだ。ざっと15人の人と話したことになる。立ち話もあり、カフェでの話しもあったが、電話が主だった。FBの友にも連絡した。妻の妹二人にも電話をかけた。何事があったのかと驚かせてしまった。自分の都合で迷惑だったかもしれない。喜びの報告だけにとても喜んでもらえて実に嬉しかった。その話を書くと書きつくせないほどだ。妻から聞いた孫の話しを書いて置く、私の留守に孫(煌)が学校から帰って来てからの話しだ。コタツのテーブルに目立つひっかいたキズが残っている。そのキズを見て、「このキズ誰がやったの」「煌ちゃんが鉛筆で力を入れてぐしゃぐしゃに書いた時のキズだよ」と。「そうなの、煌がやったの」この家には、たくさんキズがついているでしょ。煌ちゃんと翔ちゃんがキズをつけたのよ」「そうなの」というような話しの中で、将来煌ちゃんが結婚した時に、このキズを旦那さんに見せてあげるから取っておくとのような話しをした時に、「あと20年先になるからね」と煌が言ったと。煌ちゃんのお嫁姿が見たいのよ」と話したそうだ。「ばあばあは生きているの?」と言い、妻は「生きているからね。殺さないでよ」と答えたようだ。結婚の話しの中で、「お互いに仲よくなって結婚したのに、どうしてわかれるの?結婚した意味がないじゃないの」と言ったそうだ。その話を聞いて、私は驚きを隠せなかった。この22日に、8歳になる女の子が、今こんなことを言うのかと感心させられるやら驚かされるやらだった。今の子供たちはこのようなことを言うのだと思った。時代を反映しているとつくづく考えさせられた。私自身自立したのが生母を亡くした9歳の時だった。その時のことは今でも鮮明に記憶している。孫がここまで成長しているとは驚きとしか言いようがない。そして、「もし仮に、パパとママが分かれるようなことがあったら、煌ちゃんはどうする?」と妻が聞いたそうだ。「ばあばあの所にくるよ」と。「パパとママのどちらかに行かなければいけない時は、どうする?」」と聞くと。「パパかな」と答えたと妻から聞いた。私たちには女の子がいなかった。私は女の子のことは全く分からない。つい前日のことだが、私が外出から帰った時に、私の家にいた。珍しく「お帰り」と元気よく言ってくれた、私も「ただいま」と大きな声で答えた、その直後に煌のそばに行って、あたまをなでるように軽く触れた、「じいじ、抱っこして」と飛びついてきた。私に甘えたそぶりを見せてくれた。今までになかったことだ。とても嬉しかった。女の子にはこんな面があることを知った。普段は生意気な口をきいて、返事もしないことも多いのだ。妻は返事をするまでしつこく言うようだ。妻と孫たちの関係はとてもつながりが強いと感じている。私はただ見ているだけだ。子どもと遊ぶのが苦手な私だ、孫も私に遊んでとはいわない。気分の良い時に、「こちょこちょして」というくらいだ。私も孫がかわいいことには変わらない。孫の将来が心配なのだ。どんな社会になっているのか想像もつかないからだ。社会の変化のスピードが実に早い。早すぎるのだ。とてもついてはいけない。何もかも違うような気がしてならない。今のSNSの世界に何とか片足を乗せているくらいだ。理解できないことが多くなっている。これから少しは、孫の役に立つように関わりたいものだ。