結論から言うと、ペットの火葬場所追加に賛成である。犬や猫も人間と共に共生してきた動物である。人間も同じ動物である。人間だけが創造することができる。一つの事案に賛成も反対もあることは当然だが、自分の立ち位置でしか考えられないようでは困る。自分の利害や損得の価値観で物事を決めるのではなく、価値の有無で考えるべきだ。何のためにとの目的観から考えるべきだ。飼っているとかいないとかの問題ではない。人間が共生してきた仲間が犬や猫ではないのか。個人的には、私は犬の方が好きな人間だ。今でも飼えるならば、飼いたくてしょうがないとの思いである。過去に父親が生きていた頃に、父の要望で犬を飼っていた。ブリーダーを同僚から紹介してもらい、生後45日で家に連れてきた。その犬種がシェルティーである。9歳半の短い命であった。とても利口な犬で、繊細であった。私には絶対服従だった。妻が面倒を見てあげた。そのことを一番知っていたのがバロン(名前)だった。鳥のから揚げが大好物だった。妻にぴたっとついて離れなかったと聞いている。無視していると片手で軽く触って催促するようだった。寂しがり屋で、家に置いて行かれることを嫌っていた。私たちが出かける前からそわそわし始める。置いていかれるのかがわかるようだった。また、とても頑固な犬でもあった。散歩では、自分が行きたくない方向には、頑として動かなかった。私は無理矢理引っ張ってしまうので、私との散歩は好まなかった。妻は「バロン、行きたくないの。こっちに行きたいの」と声をかけると、腰をあげたそうだ。父親の死を目前にして、じっと見つめている姿は何とも言えない気持ちにさせられた。何でも分かっていた。バロンとの思い出を書けば限がない。父親が甘やかし過ぎて、食べ物を与えたために、肥満になり、体に負担がかかってしまったようだ。標準的なシェルティーの2倍の体重になってしまった。それが早死にの原因になっている。バロンは三島の大場で火葬して、家の庭に埋葬した。25年前の話しである。妻は同じ悲しみを味わいたくないので、「もう飼わない」と言う。一番面倒を見たのが妻なのだから、私も飼おうとは言えない。本当は飼いたいのだ。私はゴールデンが大好きだ。しかし大きすぎる。今では、経済的な負担もかかるのが本音である。ゴールデンを見ると癒されるから飼いたいのだ。年金暮らしの今では諦めているということだ。ペットに対して「猫かわいがり」との言葉があるが、ただ可愛がるだけではよくないことをバロンから教えられた。人間も同じである。孫に対しても同じように接している年寄りが多いが、それには異論を持つのが私だ。何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」である。人間も同じ動物である。バランスが難しいことはすべてに通じている。人間のやることは人間の行動原理を考えればわかることだ。いずれにしても、設置するとなると、税金を投入することになるので、賛否が分かれるのはしょうがないと思うが、ペットへの価値観が問題になるのだ。私は人間と同等の価値だと考えているので、作ることに賛成の立場をとる。人間と共に歩んできた仲間ではないか。どうして粗末に扱うことができるのか私には理解できない。価値あるものにお金をかけることは当然との考え方である。