ふと歩きながら「不思議な感覚」を味わった。無意識の感覚とでも言えばいいのだろうか。言葉では言い表せない心の世界だ。何故かはもちろんわからない。副鼻腔炎の手術の際に、良い医師に巡り合えたということがきっかけなのだろうか。15年間の苦しみから、やっと解放されている自分を感じている。この2月になってからは、実に顕著に表れている。何をしても楽しめる自分がいることだ。話し好きな私が蘇ってきている。話す相手には恵まれている。長年大切につなげてきた人間関係が生きている。電話でも話しをしている。極端に言うと、パソコンに向かっている以外は、話しをしているとも言えるくらいだ。話しの中心は「人生論」となる。私が追い求めてきた人生だ。人生を語ると、時間の際限がない。その類の本はたくさん読んでいる。読みながら思索を続けてきた。自分の考えを自分の言葉で表現している。そのチャンスとなっているのがブログである。文章ブログと写真付きの雑記ブログの2本だ。2014年8月15日の投稿が最初のブログだ。これは毎日新聞の「みんなの広場」に掲載されたものだ。この投稿から550本を越えている。雑記ブログは2015年2月26日が最初と記憶している。このブログが外出の記録になっている。現在確認すると、119の更新歴となる。ブログが何かも知らずに始めたのだが、weblog から来ていることは知っているくらいだった。自由に書いていいのだとの認識で、「ありのまま、正直に」記録として残し、「発信」を目的にしている。FBも大いに利用しているが、ブログとは特質が異なっていると感じている。元来がアナログ人間のために、SNSの世界をわかって利用しているわけではない。ブログもFBも楽しんでいることは事実だ。ラインは主に親友とのやり取りに使っている。その後電話で話すことが多いことは確かだ。インスタグラムは2月1日に、「珈琲舎」で、2歳7か月の「奈名子ちゃん」の動画を取り、マスターにほとんど処理してもらったので、よくわかっていない。この女の子との出会いがとても嬉しかったのだ。本当にかわいいと感じたのは、孫たちの小さい頃以来だった。他人の子どもを抱っこするような私ではないのに。「抱っこしてもいい?」と聞いたくらいだ。喜んで聞いてくれた。母親に促されたこともあるが、「おじちゃん、ありがとう」と。一言で表現すれば、「感動」となる。時間的にそれるが、夕方帰宅した時に、孫の煌(こう)がいた。頭に手を触れたら、「じいじ、抱っこして」と飛びついてきた。このようなことは今までになかったことだ。小さい頃は二人とも抱っこをしたが、数えられるくらいだ。今月22日に10歳になる孫が私に甘えたそぶりを示してくれた。このこともとても嬉しかった。

 今日一日の出来事を記してみる。今朝、ポストにN先輩からの手紙を見つけた。昨日、電話で話したばかりであった。ほぼ1時間ぐらい話していたのではないか、人生論と哲学がテーマとなっている。「相川さんに触発されている」と喜んでくれている。Nさんはパソコンは使えないアナログ人間だ。手書きのエッセイが同封されていた。この数年で何度も手紙のやり取りと電話で話しをしている。空白の時間が埋まってきている。彼は自ら合理主義者と称している。私は「人間好き」である。この二人の出会いは50年前に遡る。話しを先に進める。電話でIさんから「今日はどうですか?」とかかってきた。「午後ならいいですよ」と答えて、妻のお供で近くのスーパーに買い物に車で行った。H区長とばったり会った。昨日添付メールで送った「総会資料」の話しになり、2箇所気になると指摘を受けた。具体的に話しを聞いて「了解です」と答え、Iさんとの約束の時間の前に処理して添付ファイルで送った。Hさんと私の信頼関係が出来上がっている。その後、旧知で同年齢のOさんと顔を合わせた。別々だが、二人と立ち話をした。Oさんも区長を経験している。桃園に引っ越してくる直前に知り合った。長男と次男が同学年だった。彼から区長の依頼を受けた時に、体調不良のために断った過去の経緯がある。今年度、その時の借りを少しは返せたかなと思っている。Iさんとの話しは書ききれない。多分野にわたる。しかし、彼が私に話したいことは充分理解している。本題に入る前に長時間にわたってしまう。彼の人生の足跡を私に話したいのだ。特に女性の問題だ。恋愛と結婚の話題だ。教員生活の話題はメインになるが、そのことを彼は話したいわけではない。教育に関しては、今まで十分話しをしているので、別々のタイプではあるが、共通認識は持っている。彼には文学の世界がある。国学院大学から、成城大学院を出てから、神奈川県で、高校教員に採用された。そこでの7年間の生活が彼の原点とも言えるであろう。私の教員の原点は初任校である定時制の5年間なのだ。初任校での経験が教員人生を決定すると言っても過言ではない。彼は、俳句と短歌を詠み、文章を書く。かなりの才能を持っていることは間違いない。学者や評論家ではなくプレーヤーと自らを語っている。その彼が私の存在を認めている。「相川さんではなく、先生」と私を呼んでいる。私にはそんな意識はないので、Iさんとしか呼んでいない。今日、初めて彼が相川さんではなく、先生と呼ぶのかの理由を話してくれた。「先生は根っからの教育者だ」と言ってくれているが、私はそれ程の人間ではない。しかし、私の生き方は稀であることを認めている。教員であるが故に「私の生き方」を通すことが出来たと思っている。実に稀な人生を生きることができたことに自負心と喜びがある。私は卒業した教え子にも、私は金太郎飴だよ。何にもぶれてはいないよ。ここにこそ私の人生へのプライドがある。だが、その人生で本当に良かったのかどうかは、私には分からないが、「我が人生に悔いは無し」ということは言い切れる。残りの人生は、自分のできることで、人のために、地域のために行動することだと思っている。夕方帰宅してからコンビニに向かっている時に、Iさんから「今の先生の精神年齢はおいくつですか?」と聞かれたことを思い出した。「50代だと感じています」と答えた。その理由は50台の半ばの時に、「天職」と感じたからだ。彼はその頃の同僚で、知り合って間もなかったので、以前話したことを思い出して納得してくれたようだ。先程FBに投稿した言葉が「不思議な感覚を味わっている。人生で今が一番楽しいと」だ。妻にもそのことを話している。「不思議だよな。感覚の世界なんだ」と。言葉では表現しきれない感覚なのだから、これ以上説明することはできない。昨日のブログが「私の心」のすべてを表していると感じてはいる。70歳を越えてからこのような感覚を持てるとは思いもよらないことだ。本当に心の底から嬉しく、日々が楽しいことは事実だ。「報恩感謝」の4文字が、今最も大事にしている言葉だ。「心こそ大切なれ」を座右の銘として。