昨日は一日中話しをしていたような日だった。話し好きの私には嬉しい一日になっている。体調が良くなり、心が元気になっている。文を書いたり、散歩しながら写真を撮っている。写真のスキルは全くないし、機械が苦手なので、道具として活用はできていないが、それなりに楽しめることを知った。趣味と言えるほどのものではないが、「楽しみ」の一つとなっている。富士山と花の写真を撮って、FBに投稿している。リアクションとしてくれると嬉しいし、コメントし合えるとさらに楽しい、このFBでのコミュニケーションも「楽しみ」になっている。「感謝」の思いである。
昨日は朝早く目が覚めたので、ブログを書いて更新した。そのことを親友にラインで書いた。他にも共通の親友に電話したこととその様子も書いておいた。「後で電話するよ」とラインで伝えてきた。彼と電話で話すと、1時間くらい話しをするのが普通になっている。昨日は35分で終わっているが。「相川は極端だよ。もっと平均化できないのかよ」と私に言う。「これが俺の性分だかから、どうにもならないよ」と答える。そばで妻が笑っている。妻には隠し事ができないので、何でも話しているから、電話にしても、話しのやりとりの内容で誰と話しをしているのかがわかっている。妻は私の友達のことをほとんど知っているくらいだ。県内でお互いに名前だけで呼び合う間柄は一人しかいない。昨日の話しはいつものことだが哲学に及ぶ話しになるのだが、共通の親友の最近の様子を説明しておいた。できれば3~4人で会ってじっくり話しがしたいのが本当の気持ちである。夏にその機会を作ろうとしたが、一人が体調的に無理だとわかって断念した。数日前に、Kに電話をかけ話しをした。彼の体調が徐々に良くなっていると聞いて嬉しい。リハビリがきついが、その効果が出ているので、との話しであった。今回はそのことを伝えた。もちろん他にも大事な話しをしたのだが、結論は会って話そうと言うのが私の主張だった。彼はもう少し時間がほしいと言っているが、決断してくれると思う。これにはある事情があることが原因なのだが、そのことを書くことはできない。プライバシーを侵すことになるからだ、彼の事情はすべて承知している。お互いにツーカーの間柄である故だ。妻も彼を良く知っている。私たち夫婦の出会いの場が、彼の結婚式の2次会なのだ。この詳細は自分史としてブログに書いてある。ともかく近いうちに2年後輩の友と3人で会いたいとの思いを伝えておいた。「二人は酒を飲んでもいいからね」とも言った。私の家に来て話しをしてもいいことだ。宿泊には近くのビジネスホテルを取ればすむことだ。居酒屋のことはわからないが、FBの友に聞いてもいいと思っている。情報はもらえるはずだ。
彼との話しを終えてから散歩に出かけた。その途中で先輩から電話があった。通話料がかかるので、折り返し電話することにした。最近はこの形を取っている。私の携帯は通話かけ放題にしてあるからだ。この先輩と話すと、1時間ぐらいは普通だ。5歳年上だが、気持ちが実に若い。趣味が囲碁で、座間市の囲碁愛好会の会長をしている。その関係でこの人も人間関係が実に広い。この先輩からは実に多くのことを学んでいるし、互いの考え方を受け入れ合うことのできる同志と言える。彼はインターネットの世界とは無縁のアナログ人間のために、手紙でやり取りしている。この3年間で10通を越える手紙をもらっている。彼の生き方・考え方の具体例を書いてくれている。私はワードで書いているので、私の手紙はパソコンに保存してある。私の知る情報やブログをピックアップして送っている。その内容によっては、電話で話しをすることになる。「相川さんよ、それでいいんだよ」とよく言ってくれるので励みになる。今年も会って話しをすることになるだろう。その設定は私がするので。昨年会えなかったもう一人の先輩を入れて話しをしたいと思っている。
午後にはIさんとカフェ巡りで話しをすることになっていた。朝早く、携帯に「今日はどうですか」とかかってきた。「午後ならいいですよ」と答えた。1時にいつもの場所でとの約束をした。約束の5分前に着くのは私の習慣だが、その前に来て待ってくれていた。今日は彼の車で行くことにした。「先生が運転して」ということで、彼の自慢のホンダNボックスを運転した。伊豆縦貫道で函南が近いと言ったら、紹介したいカフェがあると言うのでそこへ行くことにした。車はとても軽自動車とは思えないほどの快適な走りだった。これなら軽自動車に替えてもいいなと思ったくらいだ。彼はオプションに50万円以上かけているので、内装も外見も見栄えがいい。「いいでしょ」と自慢していた。30分ほどで目的の「パン・デ・マリエ」に着いた。とてもいい場所にある。店の感じもいいし、中の白を基調としたインテリアもいい。とても気に入った。女性客が多く、ランチの時間は混んでいるそうだ。ランチの時間が過ぎる頃に入ったので、空いていた。富士山の見える席に座って話し始めた。彼と話すといつもほぼ3時間になる。完全な対話方式で、相手の言葉を受けて話題が広がっていく。その話題が楽しいと話しの中心がそこにいく。成育歴、親の教育、学校時代の話し、歴史の話しから、俳句、短歌の話題になる。歴史と文学は彼の話しが中心となる。私は社会科学的アプローチをする。言語、教育、文化では共通項が出てくる。彼は私と話しができることを喜んでいる。他の人に話しても理解してもらえないからだ。難点を言えば、彼は自分の人生の自慢話となる。それでは他人には聞いてもらえない。それぞれの人生体験は異なっている。「相互理解」が対話のポイントだ。私は自慢話を好まない。彼なりの人生を振り返って肯定してもらいたいのだ。それは理解できることだ。今回の話しでわかったことは、私が「自我」の確立が早く、大人になりたいとの思いが他の人よりも強かったことだ。彼の場合は、中学2年生までオール3の目立たない生徒だったという。その場所が居心地が良かったようだ。中学3年生から勉強を始めて、名門の韮山高校に入ったようだ。彼の勉強方法はすでに聞いている。彼のすごさは何か。一言で言うと、子供の頃からの「読書」だ。そこが私とは違う、「言葉の世界」を自由に歩いてきたようだ。私には及ばない世界だ。私の読書は大学時代にあるので、とても比較の対象にもならない。その彼にしても知識量はあっても雑然としていてばらばらだったそうだ。フィクションの世界からリアルの世界の機会を得たのが22歳の彼女との出会いであったと。ここが今日の本題であった。その頃の二人の写真を見せてくれた。きれいな女性の一言だ。正直に言うと、並んでいる二人にはバランスがとれていない。さすがこのことは言わなかったが。女子高校からお茶の水女子大卒で、東大の大学院生の才媛美人との出会いだ。彼は国学院大学から、成城大学の大学院に進んだと。その大学院の研究会で知り合い、「一目ぼれ」とのことだ。写真から想像ができる。10年間の交際だったと。彼女は研究者の道を歩み筑波大学の講師になり、彼は神奈川県立高校の国語の教員になった。新設校で苦労したそうだ。二人とも長男と長女の関係が分岐点になったようだ。その辺の理解は私にはすぐできることだ。今まで私に話すタイミングを計っていたと言う。「恋愛」に関しては私なりの恋愛観を持っている。女子高では授業の中でそのような話しはよくしていた。私と彼との共通項は何かというと、教員社会の異端児と言うことだ。だがその中身は異なっている。私は「常識人」としての言動を取って来たと自負しているのだが、他の多くの教員に常識がないと言うことになる。社会の常識が、教育や、行政、政治の世界の非常識の構図は変わっていない。所詮「人」次第ということになる。二人とも型にはまらないで独自の授業を展開して、生徒を惹きつけてきたことは同じだと言える。方法論が異なっているだけだ。お互いに生徒指導困難校を乗り越えてきているので、話しが通じると言うことだ。彼の知識から学ぶことは多い。彼は私を「人間好き」と評価している。私は人間が好きで教員の世界を選んだので、出世のことは眼中になかった。出世を考えていた教員には私たちのことを理解できない。今でも親しくしている同僚に管理職になった教員はいない。「類は友を呼ぶ」の言葉は適切だと思っている。これからも話しの続きがたくさんあるそうで、聞いてあげることにしている。それにしてもカフェは詳しい。この店も韮山高校に勤務していた頃に探したそうだ。話しの成りゆきから、熱海にも行きことにもなりかねない。現在の熱海は人気スポットになっているので、調べれば面白そうだ。洒落た店は私も好きである。簡単に言うと、女性が好む店となる。女性の好みはわかる方だ。又の機会を楽しみにしている。
追伸:今日のブログは書き過ぎたようだ。