50年来の旧友から依頼があった。彼とは昨年の8月27日に再会した。その時に、私の体調が悪化していたために、充分な話しができなかった。申し訳ないとは思ったが、やむをえなかった。最近の携帯でそのことを話したら、私の状態が良くないことに気づいていたと言っていた。彼とは同志であり、大切な友人である。彼は個人で仕事をしているために、時間の都合がなかなかつかないのが現実だ。メールや携帯で連絡は取れるが、直接会い顔を合わせて本音で語り合うことが最善なのだが。お互いに感じあい通じ合う心が大切だと思っている。依頼の内容は、英文を和訳してもらいたいとのことだった。アメリカ大使館の公文書で、ある団体の会長の発言要旨が書いてあるものだ。PDFファイルで添付してきたが、開いて読むことができなかった。そこで友のEさんに扱い方を教わった。開くことができたが、本文が読みづらかった。そう話すと、彼が本文をテキストに直して送ってくれた。その時に、グーグルアプリの翻訳検索のことまで教えてくれた。テキストをワードにコピーし、その文をアプリの翻訳に張り付けた。驚いたことに、瞬間にして英文が左の欄にそして日本文が右の欄に出てきた。それをプリントアウトして読んでみた。英語の語順で和訳されていて、日本文としてはとても読み理解することはできなかった。しかし、政治分野の専門用語は和訳されていたので、自分で調べる手間が省けた。このアプリの進化に驚くとともに、AIを搭載するならば、翻訳や通訳の仕事はなくなるだろうと感じた。私が生きている時代に、車の自動運転も可能になるだろうし、どんな将来になるのか予想もつかない時代に変化していると感じさせられた。Eさんと「いいのか悪いのかわからない」との見方が一致している。今の時代は、コンピュータの操作ができなければ仕事もできない。自治会の業務も同じである。アナログからデジタルの世界へと変化した事実は明らかだ。便利さと不便さが同居している。科学技術が進み便利な世の中になっているが、人間自体は進化していない。このギャップにこそ問題の根があると感じざるをえない。科学技術の進歩は人間の幸福をもたらすことにはならないと言える。そんなことを日々感じているが、所詮人間の問題に帰着すると考えている。これからの時代を「人間としていかに生きるか」がテーマであり、教育の焦点もこの点に帰着すべきだと考えている。従来の価値観から脱却する時が来ているとの思いを強くしている。自然との調和の下に、「人間」を基軸とする社会の構築へ進むことを願っている。
この文書で、H said that while these groups believe strongly in building peace, they are also aware that pacifism is not the right way to make a true contribution to international peacebuilding and peacekeeping efforts. (これらの団体は平和を築くことを強く信じているが、彼らはまた、平和主義が国際的平和構築と平和維持活動へ真に貢献する正しい道ではないと気づいているとHは語った。)この部分を訳していて私の間違いかと疑ったが、繰り返し読んでも私の読み違えではない。H氏の平和主義の考え方には賛同できない。切り取って批評することには抵抗があるが、彼の認識に誤りがあることを指摘しておきたい。
10数年ぶりに英文和訳(翻訳とまではいえない)をしたが、英和辞書を引きながら、日本語での表現を考える楽しさを思い出させてもらった。日本語と英語では、語順と文構造に決定的な違いがある。そのことを学ぶのが文法である。英文法を学んでも、実用的な英語は身につかないことは確かだが、言語の基礎・基本が大事であることには変わらない。英語の「仕組み」を知れば、あとは「語彙力」の問題になる。同時に「表現力」が重要になってくる。暗記による記憶力を競う時代は終わっている。
旧友とは、もう一人の旧友を加え3人で再会する機会を持つ予定にしている。温泉にでも入りながら、ゆったりと語り合う時間が持てることを望んでいる。この日が来ることを楽しみにしている。友と会い本音で話しをするアナログの世界を大切にしたいと思う。