元気な状態で正月を迎えられたことを心から喜んでいる。昨年を振り返り、ざっくり言うと、喜びを感じた期間が5か月、苦しんだ期間が7か月となる。苦しさを知っているので、喜びはよくわかる。「心の働き」が行動にそのまま表れる。私が大事にしている言葉の一つが「心こそ大切なれ」である。この前提になるのは「健康」である。健康でなければ心が弱くなる。自己の心の中での戦いになるが、自分の心に負けそうになることを多く経験している。ネガティブな気持ちに陥り、コントロールができなくなる。自律神経失調症のような感覚だろうか。私の心の弱さの故だが、「心が折れる」の言葉の意味が実感として理解できる。その時の辛さは表現のしようがない。「冬は必ず春になる」との言葉を自身の心に言い聞かせて耐えるしかない。生来話し好きの私だが、ほとんど話しをする気力も失われる。私はいわゆる世間話しのおしゃべりは好きではない。正直に本音で語り合うことが好きということだ。「正直に、自分らしく」が私の生涯の信条である。その信条で歩んできた人生に、私のプライドがある。私は表の道を歩き続けてきたので、裏の道のことはよくわからない。しかし、何事も「表裏一体」と見れば、自ずと見えてくものがあるが。言うまでもなく、私の最大の理解者は妻である。妻なしには現在の私はないと言える。体調不良の状態はうつ状態に近いかもしれない。診療内科に3年程通ったが、無意味だった。昨年11月に、副鼻腔炎の手術をしてよかったというのが、今の正直な気持ちだ。元気な自分の姿が戻ってきている。「楽しむ」ことができるようになってきた。私の友人たちは、SNSでの投稿状態で判断してくれている。私のことを心配してくれ、喜んでくれる友がいることを嬉しく思っているし、感謝の気持ちでいる。妻に言わせれば「私ほどわかりやすい人はいない」ということのようだが。妻には隠し事はできないと言うことだ。私も妻にはほとんど何でも話してきたことは事実だ。妻も大事なことは誰にも口外することはない。その「信頼関係」も45年が過ぎる。ある出来事から立場が逆転しているが、私の自由にさせてくれている妻が一枚上と言うことになる。私が健康でありさえすれば、妻の心配事も減る。私は「束縛」を嫌う人間だ。組織においても同じことが言える。トップダウン方式には従わないまま通してきたのが私の教員人生でもある。自分で考え理解して自分で判断する。その結果責任は自分にある。納得できないことは、人に言うこともなければすることもない。「言行一致」が私の評価基準であるから、自身の言行も同じ基準となる。できない約束はしないし、約束は必ず守るのが人としての在り方だと思っている。偽り、欺き、裏切り行為は許すことができない性分だ。人としての道を歩き続けて、人生を終えたいと願う。今は「健康第一」である。日々を「楽しむ」ことのできる一年であることを願っている。エンジョイ・マイ・ライフ。