一昨日の昼に、大学時代の親友と携帯で話しをした。彼と会って話しをしたのは2013年3月の下旬と記憶している。妻の母親が亡くなる以前に、お見舞いに横浜に行った時の翌日、信濃町で待ち合わせて三人で会い、喫茶店で話しをしたことをよく記憶している。その時の写真も残っている。彼もすでに退職している。体調が良くないので退職したのだと思っていたら、違っていた。しかし、退職後に体調を悪くしたことは聞いていた。もともと体が丈夫でないことを以前から言っていた。逆流性食道炎で通院していたが、食べられなくなり体重が減っていった。原因が「膵炎」であることが検査でわかったが、手おくれの状態だったようだ。40キロまで痩せて筋肉がなくなったようだ。腰痛がひどいのも重なり、身動きができなくなったと。整骨院でのリハビリが週2回のようだ。「介護保険を使うようになるとは思ってもいなかったよ」と、要介護2との診断で治療費は1割ですみ、送迎付きで助かっていると。きついリハビリのおかげで、病院の通院には自転車が使えるくらいの状態まで回復し、なるべく食べるようにして、体重が50キロまでに戻って来たと。「あと5~6キロほしいね」と私が言ったら、「そうなんだよ」と言った。三半規管にも障害がでているようだ。本を読んだり、物を考えることができないようだ。集中力に欠け、同じ姿勢を長く続けることもできないために、外に出て座ることもできない状態だと聞いた。こんな時には、人と話しもしたくないことは、自分の経験でよくわかることだ。楽しみはラジオを聞くことぐらいだと。テレビは見ないし、パソコンにも触れてはいないそうだ。私の体調が悪い時の状態と症状が違うので、何とも言いようがないが、じっと耐えるしかできないのではないか。ある意味で、トンネルに入っている状態なので、先の見通しが立たないことは確かだ。私の場合は精神的な要素が強かったので、体を動かすことができなかったわけではない。体を動かす気持ちになれなかった。すべてのことがおっくうで、何もする気になれないために、妻と話しをすることさえもほとんどないし、近くの買い物に付き合うことが精一杯の状態だった。2003年に副鼻腔炎(蓄膿症)を発症し、2007年の10月に手術したが、完治しないまま今日に至っている。体調には大きな波があり、良いと思える状態は3か月以上続いたことがない。それでも周期が短くなってきている。この数年は、悪い状態が1年以上続くことはなくなっている。3年前にブログを始めてからは、友や教え子が私のブログの更新状況で、私の体調を推測し、心配してくれてもいる。とてもありがたいと思っている。今年は、10数年ぶりにさわやかな気持ちで正月を迎えることができたが、体調の悪化とともに、1月の上旬から4月の上旬にかけてはブログの更新も、FBの更新もしていなかった。体調が回復してほぼ4か月が経過しようとしている。最長不倒の時間に入っている。今は元気な状態で、月末には5人で箱根の塔ノ沢の宿に一泊する予定でいる。言い出した私がその幹事をしている。学生時代を共に過ごした「仲間の集い」が楽しみだ。30数年ぶりに顔を合わせて話しができることが奇跡的だと思っているくらいだ。このような機会が持てることは想像もしていなかった。このような機会を「心友たち」とも持ちたいと願っている。私の親友が会って話しができる状態になることを心から願っている。話したいことはたくさんある。それぞれの「人生の歩み」を語り合いたいとの思いでいる。無二の親友だけに。今回は20分を越えて電話で話しをした。無理をさせたようにも感じてはいる。普通は5分も話せないのに、「気の置けない相手だからこんなに長く話せたよ」と言っていた。一日でも早く元気になってほしい。負けないで頑張ってほしい。会って話しができる日が来ることを切に祈っている。