裾野市生涯学習センターで「みんなの学校」が上映された。大阪住吉地区にある公立学校の「大空小学校」を舞台にしたドキュメンタリー映画で、全校児童が220名、特別支援対象の児童が30人超える学校である。「すべての子どもに居場所がある学校を作りたい」との教育方針の先頭に立っているのが木村泰子校長である。「人が人を育てる」という教育の原点を実践されたことに敬意の念を抱いている。「一人も置き去りにしない」との教育実践は至難に近いとも言える。私には小中の義務教育の経験がないので、とても新鮮に受け止めている。特別支援学校の勤務経験もないだけに、自分事として捉えた時に、正直に言って、このような教育実践を行うことができる自信はない。高等学校のレベルでは、校長が生徒の名前を知ることさえあり得ないことで、知るとすれば、校長室に掃除に来る生徒との触れ合いができる校長に限られると言いてもいいだろう。映画で見る限り、木村校長が日常的に校長室にいることはないようだ。児童や教員と絶えず関わっており、全児童の名前を知っているだけではなく、一人ひとりの性格及び家庭環境まで知っていることに驚いている。私の教員経験では、ホームルームの担任にならない限り、クラス全員の生徒のことを知ることはない。学年主任にしても問題のある生徒のこと以外は知ることはないのが高等学校レベルの話しである。映画を見て感じたことは、フェイス・トゥ・フェイスで指導が行われていることがポイントと言えることだ。当たり前のことのようだが、なかなかできることではない。教育の視点からは二つのポイントを感じた。一つは、一人ひとりの達成感を評価し褒めてあげることにある。もう一つは、児童一人ひとりが「納得」できるまでの言葉のやりとり、つまり「対話」が成り立っていることだ。時には、感情からではなく、愛情を持って厳しく叱っている。現代社会において、大人も子どもも他人に「責任転嫁」する傾向が強くなっている。「子どもは親の鏡である」からこそ、大人の「自己中心主義」が子どもに反映されていると言える。相手の気持ちになって考えさせる教育ができているので、「共感」が生まれているのではないか。特別支援を必要としている子どもに限らないことだが、家庭的な問題を抱えている児童が増えていることは確かだ。根本的には、そのような児童は、親の本当の愛情に恵まれていないように思えてならない。私の先入観や思い込みだとしたら謝罪しなくてはならないのだが。私が中学生の時に、非行傾向の生徒は、家庭に問題があると感じていた。その意識は教員時代も変わることはなかった。家庭事情はそれぞれ異なってはいることは確かであるが。木村校長は、「この子がいなければ」と思ったことがあると本音の部分を語っていたことがとても印象に残っている。その気持ちと葛藤しながら、一人ひとりの児童に愛情を向けて、先生方の先頭に立ち、リーダーシップを発揮して、学校というチームを作り上げた教育的努力は賞賛し過ぎることはない。卒業時に、一人ひとりに卒業証書を渡しながら、児童に声をかけている姿は、教育者のお手本と言えるのではないか。これが私の率直な感想です。