昨夜、「地域づくりの土台つくりという視点」との集まりが、大平兼太郎君の企画として、裾野市多目的ホールで行われた。参加者は22名で、講師は小田圭介さんだった。彼の話しを聞くのは先週の長泉町での「何にもしないお話会」に続き2度目となる。裾野市立東小学校のPTAを起点とする「おやじの会」による「何(なん)にもしない合宿」は平成24年8月に発案され、翌9月に第1回が実施されてから、月1回の割合で継続しているということだ。第45回より「青年と地域をつなぐ事業」も実施されたと聞いた。寝袋一つで、自宅で夕食をすませてから集まり、企画もなく「何(なん)にもしない」ことで、負担もほぼゼロにして、自由に子ども(小学生)とおやじたちがそれぞれの関わりを持ち、継続することで、先生(タテ)や友だち〈ヨコ〉の関係とは異なるナナメの関係を築いているとのことだ。地域のおやじと子どもが顔を合わせ「人間関係」が作られている。「地域コミュニティ」ができているということだ。「地域コミュニティ」の形成は、現代の差し迫っている課題だと私は考えている。子ども ⇒ 家庭 ⇒ 学校 ⇒ 自治会・地域社会 ⇒ 自治体(行政)⇒ 国 ⇒ 世界という関係の図式になる。ここで重要になるのは「教育」である。この教育は「何のために」との目的が明確化されているとは言えないのが現代社会の病理とも言える。「子どもの幸せのために」との目的は「共有」できるであろう。しかし、その方法については意見が異なってくる。ともすると、目的論を見失って方法論に終始してしまい、前へと進めなくなっている。私的に言うならば、理念なき方法論と言えるだろう。それ故に、いつのまにか方法論が目的化してしまっている。「方法は目的のための手段」であることを忘れてはいけないということだ。「子どもの笑顔」が見える社会へと大人は努力する責任がある。それぞれの立場で、「子どものために」それぞれの責任を果たす自発・能動的な行動が求められているのではないだろうか。家庭において、親は子供の基本的な躾を。学校では、基本的な知識と、物の見方や考え方を育む教育を。子どもたちが希望を持てる社会へと。安全で平和な国へと。一人ひとりの人間が、自己利益だけを求めるのではなく、自分の持つ能力を人のために生かすとの基本的な認識が必要な時代ではないだろうか。まず自分の足元から見直して、「自分は何をできるか」を考えて行動する人間でありたいと思う。そのためには、まず地域のことに関心を持つように心掛けるべきではないのか。

 「何にもしない合宿」は、食事なし、企画なし、負担なしのおやじたちと子どもたちは、①けんかをしない②ケガをしない③21時に寝る努力をとの決め事(ルールとは違う)だけの合宿が実施され、子どもとの人間関係が築かれていることは素晴らしいことだと感じる。

 2次会に出てみた。10人ほどのおやじたち(女性1人を含む)が居酒屋に集まって、飲みながら「本音」で語り合える人間関係ができていることに感心した。私のような世代は飲むか、遊ぶかでヨコの人間関係を築いてきた。そのような人間関係の中で、物事に対する協力姿勢が自発的に形成されたものだ。義務感(マスト)からでは生産的なことはできないが、自発(ボランティア)・能動(アクティブ)からは、価値が生み出されることを知る必要がある。ネガティブからポジティブへの心の転換こそが「意識改革」だと思っている。「共生社会」へと草の根で。